私は私の書く文章が嫌いだ。
これを私は「自分の文章アレルギー」と呼んでいる。

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恥ずかしい過去を暴露すると、実は昔、小説を書いていた。
取るに足らない、誰にでも書けてしまうような自作の小説だ。
きっかけは小学2年生の時、文房具屋で買った真っ白なノートに下手な絵と文章をかいて絵本のような形にしたところ、母親から想像以上に褒められたことであったと記憶している。一冊仕上げ、二冊仕上げと同じ形のノートが積み重なっていく頃には、私はすっかり創作に取り憑かれていた。
私の家庭は当時両親が共働きで、なおかつ一人っ子だった。両親がいない時間の寂しい空白を埋め合わせたくて、その分よく一人で妄想をしている子どもだった。そんな妄想を形にする術をこの瞬間覚えてしまったのだ。自分の脳内に広がる自分にしか見えない世界を、自分の中に落とし込んだ言葉で綴る。文字を通して誰かの頭に自分の世界を構築することができることに夢中になっていた。きっかけを作った母親は出来上がった作品を見せる度にいつも私のことを褒めた。

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状況が一変したのは中学生の頃だった。
それまでの私は自分の書いた文章がこの世で一番面白い文章だと思い込んでいた。
小学校でもそれなりに私の書いた文章は褒められて、何度か生徒代表のような立場になることもあったからというのもある。

しかし、スマホを与えられ、インターネットという世界を知ってから私の世界は一変した。
まず第一に、私と同じように作家という職業でなくとも文章を書く人が沢山いるということを知った。
そして、私の何十倍も読みやすくアイディアにも優れた面白い作品がこの世にはごまんとあることを知った。
その瞬間から、私の創作ライフには暗雲が立ちこめ始めていた。
そうしてインターネットの小説を読んでいくうちに、いつしか脳裏に「限界」という文字が浮かぶようになっていった。
自分の小説と見比べてみる。それまで最高傑作だと思っていた自作の小説がとたんにチープでつまらないものに感じた。自分の文章に対する自信はみるみるうちにしぼんでいき、それと並行して部活動が忙しくなっていったことで私の筆は完全に折れてしまった。

「この人たちのような面白い文章は、たとえこの先私が書き続けても絶対に書けない」

そうして、いつしか小説を書いていたことは黒歴史になり、誰にも言えない心にじわりと影を落とす思い出になっていた。

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それから時は過ぎて、私は大学生になった。
明確な解答のある問題を解き続けていた高校生の時とは違い、大学では自分の意見を自分の言葉で述べることが求められるようになる。
そんな中、ある授業の課題で授業の感想を書いたコメントシートを提出する機会があった。
なんとか期限ギリギリになって滑り込み提出したその文章はろくに校正もせず、今思えば目を覆いたくなるような出来であったと思う。
しかし、そんな私の感想が次の授業で取り上げられ、先生からも高い評価を受けた。

私の文章が誰かに褒められたのは中学生の時以来、いやもしかしたら小学生の頃以来だったかもしれない。
その時、私は大人数の前で読み上げられた恥ずかしさと文章の拙さを再度思い知らされた苦しさで、誰かに助けを求めたくなった。しかし同時に、書くことが好きだった小学生の頃の私がふと嬉しそうな顔を見せたのだ。
そしてようやく気付いた。

私はずっと怖かったのだ。
自分の書いた文章が評価されない日が来ることが。
自分の文章が特別ではないことを突き付けられるのが。
閉じた狭いコミュニティで評価され続けた文章が、広い世界では土俵にすら上げてもらえないのではないかという恐怖が、自身の文章と向き合うことを長年妨げていたのだとようやく自覚した。

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私は私の文章が嫌いだ。
こうして原因が分かっても、数年間逃げ続けた代償である「自分の文章アレルギー」は無くならない。今後無くなる日が来るのかということすらわからない状況だ。

しかし、このエッセイを自分の文章と向き合ってみる第一歩にすることはできる。
これが数年固まっていた足を動かした、その一歩目の足跡である。

画面の前のあなたにはどう映っただろうか。