私は文章を書くことが好きだ。
「書く」ことは何度もやり直しができる。時間をかけて自分の納得する言葉にすることができる。それがとても好き。自分の頭の中で浮かんだものを文字に起こして整理すると、頭の中もスッキリする。
反対に、「話す」ことは苦手だ。話すときには必ず相手がいて、相手を待たせずに喋らなければいけないというプレッシャーや、一度口に出したら変更することができない緊張感があるから。

人に話さない分、どうしても頭の中の文字数が多くなる。頭が文字で埋まった時はSNSで、一定のコミュニティに向けて自分の頭の中の言葉を文章にして載せる。
これが私の脳内リセット方法。

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私は、「書く」には「送る」まで含まれると思っている。私は文章を書くとき、自分以外の誰かが「読む」ことを想定して書く。そして書いた文章は送信ボタンを押して誰かに届けられる。送信ボタンを押して自分の文章を送り出すことで、自分の中の気持ちも一緒に送り出しているような気がする。
自分の頭の中の言葉を書くだけなら、誰かに見せなくてもメモに残せばいいと思うかもしれない。でもそれはなんか違う。送り出してないから、まだ自分の中に残っている感じがする。自分の書いた文章を「送る」ことでリセットできる。

文章を書くことは面白い。
文章の向こうに相手が見えるから。同じ内容の文章でも書く人によって全く違う印象になる。そして口では言いづらいことも文章で書くことによって伝えられる。けれど文章を書くことは必ずしも良いことだけじゃない。

「よろしく。」と「よろしく!」は違う。「!」がつくだけで全然印象が違う。
「よろしく」だけじゃなくて、どんな言葉でもそう。同じ内容でもどの言葉を選ぶかによって言葉の持つ意味合いが全く変わってくる。
話し言葉でもそれは同じだと言われるかもしれないけれど、書き言葉の場合は相手の顔が見えない分、より一層誤解を生みやすい。

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母が昼から外出すると言っていたことを思い出し、私は外出先から「何時に帰ってくるんだっけ?」と母にLINEをした。そうしたら「もう家にいるけど?」という返事が返ってきた。
「もう家にいるよ」でいいじゃん。なんでそんな喧嘩口調なんだろう。機嫌悪いのかな。怒ってるのかな。私何かしたのかな。何時に帰るか既に聞いてたっけ。いろんな想像をした。
「すでに家にいる」ことを伝えるのに、語尾が違うだけでこんなに違う。
語尾だけではない。文章から読み取れるものは、選ぶ言葉から句読点の使い方、記号や絵文字など全てが要因となる。

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返信の仕方について母に軽く聞いてみたところ、怒っていたわけではないし、そんなつもりはなかったとか。そういうことなのだ。
その人にとってはなんでもないただの言葉。特に考えずに書いた素の言葉。でももしかしたら受け取る方はその言葉に傷ついているかも、不安に思っているかもしれない。
だから私は文章を書くとき、特にこのような長文を書くときは何度も自分の書いた文章を読み返して確認する。自分の伝えたいことが伝わる文章になっているかどうか。

まず頭の中である程度文章を作ってから書き起こす。どういう言い回しで、どの言葉を使って書くのが1番自分の伝えたいことが伝わるのかを考えながら、何度も読み返して書き直しをしている、今この時間がとても楽しい。

文章を書くにも人それぞれ習慣や特徴が異なり、絵文字をよく使う人がいれば全く使わない人もいる。文章は個性だ。文章を通してその人のことが少なからずわかると私は思う。

だから、私は文章を書くことが好きだ。