一番最初に私の素顔を見た人、それは母だと思う。
産み落とすときの体勢的には、新生児の私を取り上げた病院の先生が一番乗りなのかもしれないけれど、そこは一旦カウントしないとして。

そんな生まれたての私の様子は、しっかりと写真に収められていた。
ふにゃふにゃと頼りない顔をしながら、母に抱かれる私。他にもたくさんの写真を、先日父から見せられた。
「好きなの持って帰っていいよ」と言われた私は、建築途中のログハウスの前でカメラに向かって微笑む母の写真を選んだ。母のお腹は大きく膨らんでいて、そのお腹の中には私の知らない私が眠っていた。

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訳あって、父と母は約10年前から別居していた。父の住むログハウスは私の生家であり、片や母が住んでいた小さなマンションは私も4年ほど暮らしていた場所だった。ここ最近、私は両方の家を頻繁に行き来している。「家がふたつもあるって大変だな」なんてぼやきそうにもなるが、それぞれの家から宝物がぽろぽろと出てくるたび、言葉にならない幸福感に満たされる。

私が母のお腹にいたときの写真は父の家から出てきたものだが、母の家からはなんと私のへその緒が出てきた。これにはかなりびっくりしてしまった。妹のへその緒も一緒にしまわれていて、姉妹そろって「うわあ!」と驚いたものだ。小さな木箱に入れられたそれも、私は大事に持って帰ることにした。

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父と母の家を頻繁に行き来している理由ーーそれは、母が亡くなったからだ。
病に冒され、加速度的に体力が衰えてしまった母は、昨年末この世を去った。
亡くなる前日、「もうもたないかもしれない」と母と同居中の妹から連絡を受けた私は、仕事を放り出して帰省した。母と妹が住むマンションには父も駆けつけていて、一体いつぶりかわからないくらいの家族全員集合となった。

マスクを外したかったけれど、ぐっとこらえる。被っていた帽子だけ取って、「わかる?まりちゃんだよ。帰ってきたよ」と介護用ベッドに横たわる母に声をかけた。その時の母はもう、まともに会話することすら難しい状況だったけれど、私のことははっきりと認識してくれたようだった。泊まっていく私に対して、「布団はある?」と掠れた声で何度も言ってくれた。

父と母の間だけではなく、私と母の間にも、実は確執があった。私が母と会うのは、およそ4年半ぶりのことだった。でも、最期に会った瞬間、これまでのことなんて心の底からどうでもよくなった。会いに来てよかったと、嬉しさが素直に込み上げてきた。

その夜、母と久しぶりに同じ部屋で寝た。私がかつて使っていた敷布団は押し入れにずっとしまわれたままになっていたようで、妹が引っ張り出してくれた。

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うわんうわんと外で鳴り響く無線放送の鐘で目が覚めた翌朝。「7時に鳴るこの鐘の音、懐かしいな」なんて思いながら、ベッドの方へ視線を移す。母の鼻と管で繋がれている酸素吸入器の作動音だけが、部屋の中で静かに充満していた。

隣にいた妹と一緒に、母の手や腕、頬を触る。そしてどちらからともなく、状況を悟った。

それからは、あっという間に時間が過ぎていった。
一度帰宅していた父に妹が連絡をし、その後往診の先生が来て、さらにその後葬儀屋さんが母をストレッチャーへ乗せて運び出して。
数少ない近親者のみでひっそりと葬儀をし、母は小さくて白い骨になった。
葬儀場からお墓へ向かうまでの間、私は骨壷を大事に大事に抱え続けた。あふれそうになる涙を、黙ってこらえながら。

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私が胎児だった頃の写真やへその緒は、いずれも母の遺品整理を通して見つけたものだ。
生まれる前、そして生まれたての私を示すルーツ。まだ何も知らない、何にも汚されていない、ありのままの状態の私がそこにはいる。

この先の人生で足を止めそうになったとき、私はこの2つの宝物のことを思い出してみようと思う。再びそれを手に取ったら、これ以上ない勇気をもらえそうな気がする。
細い身体で私を産んでくれた母。母に与えられたこの命を、私は死ぬまで燃やし続けないといけない。