私は幼い頃から、文章を書くということに対して苦手意識があった。特に小学生時代は「文章を書きたくない!」という気持ちが強かった。

というのも、私の小学校では学芸会という、演劇を保護者に発表する会が行われており、学芸会後の感想文を原稿用紙3枚程度書かなくてはならなかった。当時は自分が思っていることを文章でどう表現すれば良いのか全く分からなかったため、自分の気持ちを包み隠さず正直に「学芸会のセリフが短くてよかった。安心した」と書いた。

担任の先生から案の定、この一文には赤いマーカーが引かれ指摘された。大学生の自分が今考えてみると反省すべき点が多くあることに気づくが、小学生の自分は修正すべき点に気づかず、「なぜ自分の気持ちを正直に書いただけなのに指摘されなければいけないのか」とショックを受け、文章を書くことによって他人に読まれることへの抵抗や当時のネガティブな記憶が残ったままだった。

しかしながら、当時の経験を踏まえて、中学生、高校生、大学生と現在に至るまで徐々に文章を書くことに対して自分の中でこうすれば良かったのかと気付きが生まれるようになり、視点を変えて修正すべき点は改善しながら文章を書くということと真摯に向き合うようになったのである。

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小学生時代の学芸会に対する文章は、先生の視点から考えると、セリフが短くても得られたことや短いながらも皆で一つの作品をつくり上げるためにはセリフの量や役柄は関係なく、一人ひとりが必要不可欠であり重要な存在であるため、自分の与えられた役割を演じて肯定的な感想といったような、角度を変えたプラスの視点から文章を書くべきであったと思われる。

たしかに、自分の気持ちを感じたままに正直に表現することが必ずしも否定的に捉えられるべきではないという意見もあるであろう。しかし文章を書いて相手に見てもらう際には、自分だけではなく受け取る側の気持ちに立って表現することの大切さに気付くことができたのである。

文章を書くということは、自分が思っていることを可視化することであるが、同時に相手にどう伝えて受け取られるかという「ことばの表現力」や「伝える力」が重要であると考えられる。 

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文章を書くということに苦手意識を持ち、自信を失っていた小学生時代から現在では捉え方が変わり、自分の軸を見つけることができた。それは「自分らしさ」である。

以前まで文章を通して自分の言葉で表現すると、苦手意識を強く感じてしまったため、どこかぎこちなく自分を取り繕ったかのような相手に届かない一方通行の文章になっていた。友達へLINEで文章にして気持ちを伝えようとすると、異なった解釈で受け取られてしまうことが度々あったため、自分の気持ちや心を開いて文章にして書くことへの難しさを感じていた。

しかしある時、私への感謝の気持ちをLINEで文章にして伝えてくれた親友の存在によって、自分自身も心を開いて自分らしさを忘れずに文章を書くということへの喜びを感じた。

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文章を書くということは相手とのコミュニケーションツールでもあり、自分らしく相手に伝わりやすい形でことばに感情を乗せて表現することによって、心を動かすことができるものであると考えられる。

したがって、文章を書くということは、自分らしさを大切にしながら言葉で表現することによって自分の考えや気持ちを可視化することである。また、自分だけでなく相手との関わり合いの中で文章を書くということは、他者と共有することができ、伝えることができる力を持つツールであると考えられる。