小学生の頃の夢は、小説家になることだった。本を読むのが好きで、そしたら自分でも物語を書いてみたくなって。
できた小説は親に見せた。当時はみんなにすごいねって言ってもらえるのがすごく嬉しかった。今となってはすごく恥ずかしい黒歴史の一つだけど。
私は小説をパソコンで書いていた。パソコンを開いてキーボードを打つ姿が仕事のできるかっこいい女の人みたいだったからだ。キーボードのタイプ音は今でも大好きだ。

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本気で小説家になりたいと思ったのは、湊かなえの「告白」という本に出会ったことがきっかけだった。私もこんなふうにすごい文章を書きたい。人の心に残るような物語を書いてみたい。そうやってちょっと本格的な小説を書くようになってみて、まだ小学生の私でも分かった。
私には文章を書く才能が全くなかった。

文章を書くこと自体は好きだ。だけど、文章を書くことが好きなのと、文章を上手く書けることはイコールではなかった。
学生時代の最大の敵は原稿用紙を埋めること。読書感想文、将来の夢、一年の目標。いろんなテーマで原稿用紙のマス目を一生懸命埋めてきたけど、一度も上手くいったことがない気がする。書き始めるとどんどん話が広がっていくし、どこを削ってどこを膨らませればいいのか分からない。起承転結の文章なんて書けたことがないし、書き終わってみたら最初に書こうと思っていた内容とは全く違うことを書いている。その度に悲しくなる。なんで私はこんなに文章を書くのが下手なんだろう。

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繰り返すが、私は文章を書くこと自体は好きなのだ。自分の中にある言葉たちを引き出して文を連ねる時間はすごく好きなのに、好きだからこそ、言いたいことをうまく文にできなくてもどかしいし、ちょっと手を止めて、最初から書いた文章を読んでみると自分でも何を言いたいのか分からない文章が出来上がっているのが本当に嫌なのだ。
書きたいのにうまく書けない。話の内容がまとまらない。何度、文章の書き方を調べてみても納得のいく文章は書けない。書けば書くほど自分の技量にがっかりして、小説家の夢は早々に打ち砕かれた。

じゃあなんで私は上手く書けないくせに、文章を書くこと自体は好きなんだろう。
文章を書くと、自分の頭の中にある考えや気持ちが文字として可視化される。私はそれが好きなんだと思う。
毎日いろんなものを見て、いろんなことを考えて、頭に浮かぶことが私はきっと人より多い。たくさんのアイデアや不思議だなと思うこと、いろんな感情でいつも頭の中がいっぱいになる。私が物語を書いていたのも、次々と頭にいろんな想像が思い浮かぶからで、私はそれらを文字にするのが好きだし、そうすることで私の考えていることが文字として誰かに伝わることが好きだからなんだと思う。

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私は人から注目を浴びることが苦手だ。小学生くらいのときまではそこまで感じなかったのに、いつしか人に見られることが怖くなってしまった。人の目を気にして怯えて、だから目立つことは嫌いだけど、でもどこかで自分を見てほしいと願う気持ちもどこかにあって。

ひょっとすると、文章を書くことは私にとって自己表現の手段なのかもしれない。自分が考えていることを知ってほしくて、私はこういう人間なんだってことを誰かに分かってほしくて。
ちょっと変わった私の思考が私自身を苦しめて、生きることを難しくさせるけど、そんなふうに生きてるってことを、もしかしたら私は誰かに気付いてほしかったのかもしれない。