ただ日々を過ごしているだけで蓄積されていく言葉。
言いたくて、でも言えなくて私の中で死んでいく言葉。
無理に飲み込んだその言葉たちを、私は書いて生き永らえさせていく。そうして表舞台に立てた言葉たちはどこかきらきら光っている気がする。

文章を書くことで、私は死ぬはずだった彼らを生かす。
そして彼らは私を生かしてくれている。
「かがみよかがみ」に投稿を始めてから、書くことが辞められなくなった。あのときの私、よくぞ「投稿する」ボタンを押してくれた。
そのおかげで今の私は息がしやすい。

◎          ◎

飲み込んで飲み込んで飲み込んで。
笑顔と無表情で乗り切って。
ひとりの夜に首を絞めて飲み込んで。
言えなかった言葉が喉に詰まって苦しかった。
喉につかえてた言葉で息ができなかった。吐き出し方もわからなかった。
その内、上手な飲み込み方を覚えた。

ごくん。
言いたいことが浮かぶたび、言えなくなって苦しくなるたび、ごくん、と言葉を飲み込んだ。
私の心の容量はあまり大きくないらしい。
言葉は涙になって外に出ていくようになった。
理由もわからず泣いているのがみっともなくて情けなくて女々しくて。
口から出てくる悲鳴みたいな呼吸と一緒に飲み込んだ。
だから喉に詰まったままの言葉はいつまでも私の中から消えなかった。
ただただ容量が小さくなっていって、ただただひとりで弱くなっていった。

◎          ◎

初めに書いたのは「好きな本」。
次が「おじいちゃんとの別れ」。
次が「母との確執」。

口から出せないのなら手で、スマホで、パソコンで。私は言葉を紡いだ。
いくつか投稿した後でふと気付いた。
心の容量が大きくなっている。
底は見えていないけど、それでも余裕ができている。
エッセイを書いた夜は泣かなかった。
呼吸がしやすくなっていた。息を大きく吸えた。

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私にとって「文章を書くこと」は「自分の中で死んだ言葉を生き返らせること」。
かっこよく言えばこんな感じ。ものは言いようだ。
それから、「自分が弱くて言えなかったことを吐き散らかすこと」。
こっちの方が合ってるかも。情けない感じが私にぴったりだ。
そして、「私を認めること」。

心の中で思ってたことを文字にして視覚化すると、嫌で嫌でたまらなかった自分の弱さも意外とストンと受け止められた。
「アホだな」とか「何言ってんだこいつ」とか自分のことながらそう思うけど、でも「それでもいいか」と納得できるようになった。
「そうだよね。かっこつけで情けなくて弱いのが私だよね」と受け入れられるようになった。

◎          ◎

文章を書くことで、私は今日も大きく息を吸えている。
言いたいことは相変わらず言えなくて、喉が詰まってどうしようもなくて泣いてしまう夜もあるけれど、それでも息ができている。

文章を書くことは私を生かすこと。私を守るもの。私の拠り所。
私は今日も文を書く。
楽しかったこと、辛かったこと、情けなかったこと。
全部全部文字にする。

言えなかった言葉で、飲み込んでしまった言葉で自分を表現する。
息苦しいこの世界で少しでも大きく息を吸うために。