他のエッセイでも書いたが、私は質素な暮らしをしている。必需品は、祖父母の代から引き継いだもの以外は購入しているが、祖父母の持ち物は耐久性のあるものが多く、そう買い換えることがない。
服飾品については、ボタンを直すのはもちろんのこと、上着の裾のほつれを直し、鞄のシミを隠し、靴下の穴まで継ぐ。裾を直した上着は、もう10年以上使われている。気に入っているから、買い換えたくないのだ。そこまで高いものではなくても、ある程度お金を出して買ったものは、耐久性に優れていることが多く、15年使っている上着は、母から譲り受けた当時から、ボタン以外何も変わっていない。
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一度断捨離もした。本当に使うものだけ残したら、部屋の中はすっきりして、頭も片付いた。余計なことを考えることも少なくなり、欲しいものも最低限の必需品だけ。
そうなると新しくものを買うにしても、シンプルなものでよくなったので、100均で事足りた。なんなら家にあるものでだいたいなんとかなるから、ほとんどものを買わない。ものを買わないからお金が貯まるし、商品について検索することも少なくなり、余暇が増えた。
いいことづくめだったのに、周りの視線が気になって、悩むようになった。確かに皆、すぐ新しいものを買うし、節約方法を聞いておきながら、私の話に引いている。何が楽しいのかわからないようだ。
確かに、物を買わなくなったことで、かなり余暇が増えた。その時間がそのまま浮いてしまったら、つまらないと思うのかもしれない。私はそれを趣味に使っているけど、世の中でよく言われているものを無視して、新しい自分の楽しみを見つけることは、人によっては難しいことなのかもしれない。
断捨離をして気がついたのは、最近買ったものに限って、いらないものばかりだったことだ。学生時代に好みは固まっていたのだから、今更物を買い足す必要はなかった。それでも購入した理由は、私の場合は見栄だった。
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世の中は魅力的なものに溢れている。大人が集まって真剣に考えて作って売っているんだから、当たり前だろう。それについつい流されてしまうのも、無理はないのかもしれない。
しかし先日、部屋着として使うためパジャマを買いに行ったら、一昨年くらいに買ったパジャマの色違いのものが、看板付きで大々的に売り出されていた。ちなみに一昨年に買ったそのパジャマは、売れ残ったのか半額になっていた。充分可愛いし、ワンピースタイプが欲しかったからとそれを購入したが、まさか色違いがまた売り出されるとは思わなかった。色しか違いはないように見えるが、まるで新商品のような売り出し方だ。
これは何もパジャマに限った話ではない。ひざ掛けが至る所で売っていたが、どれも似たり寄ったりで、高校生の頃から使っている触り心地の良いひざ掛けをやめて、これを買おうという気にはならなかった。むしろ、その頃から何も変わっていないようにも見えた。それなのに、在庫一掃のためか割引までしている。そしてまた新しく、同じようなデザインのひざ掛けを作るんだろう。マフラーもそんな感じだ。
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私たちが物を買う理由はなんだろう。本当に、必要で買っているものは、いくつあるんだろう。そして、どうして必要でないものを買ってしまうんだろう。
どうしようもなく、なんでも欲しくなった時期を振り返って考えると、その時の私には、自分の軸がなかった。何が好きで、何が大事で、誰といたいのかということが、抜け落ちていた。だから誰かから、自分の価値を与えられたかった。新しいものを持っていたら、それだけで自分の価値が与えられたような気になれた。
問題なのは、そうして自分の中身をもので満たすことをしない人を、理解しようとすることができなくなってしまうことだろう。もの以外で価値を測れなくなってしまうことだ。
そもそも、持ち物でその人の評価が決まるというのもおかしな話だし、人の価値なんて考えるのもバカらしい。しかしその時の私は、そう信じていたからこそ、必要ないものを買い集めた。
ふと気がついて、自分にとって大切なことを思い出して、私はほとんど物を買わなくなった。そんな私は周りの人たちにとっては無価値で、その考えを私自身がまともに受け止めてしまった。自分の思いと周りの視線の板挟みで、疲れ切ってすっかり感覚も麻痺してしまっていたんだろう。今はその考えが世の中に広まりすぎて、危険なレベルになっている。無自覚だけど、その思考から逃れたくても逃れられない人、周りの視線を感じて身に覚えのない罪悪感に囚われている人は多いんじゃないか。これはものだけでなく、進路、キャリア、結婚など、様々なことに当てはまるだろう。
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言語化すればいくらか楽になるだろうと、思い立ってこの文章を書いた。コメント機能がついたから、返信はできないけど、ぜひ皆さんの意見も聞かせてもらいたい。
本当にそれが好きで集めたいのならいいけれど、そのことに疑問を持つのなら、一度自分を振り返ってみてもいいかもしれない。
私の好きなこと、好きな人って誰だろう。探さなくても分かりきっているはずだ。そしてそれが皆違うのは、当たり前のことだ。それぞれにとって大切な、自分にとっての本物を守って生きていけたら幸せだと思う。