よく言われる私のこと。
面白い、底抜けに明るくて元気。あと順応性が高い。
周りから見られる私も私自身そのものだけれど、本当の私はもっともっと弱くて、繊細で、何より誰かの力になれないということが一番嫌い。

「何か手伝える所ある?」「大丈夫だよ、お気遣いありがとうね」という善意を申し出て断られる、そんな一見普通の会話、でも私からしたら一番嫌いな会話。
もちろん、本当にやることがなかったり、理由があって本当に私に力になれる隙間もなくて断られるということもあるので一概には言えないけれど、大丈夫という返信が来たときには、やんわり断られつつも言葉の裏側に「お前にやれることはない」「お前は関わるな」と言われてしまっているように感じて、辛いと感じてしまう。

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一番辛かったのは、昨夏行った毎年恒例の岩手・遠野にあるおばあちゃんちへの帰省。
冬にも帰省するけれど、雪道に慣れていないのと持病の関係で睡眠薬を飲んでいる私は運転を父と妹旦那に任せ、もっぱら交通情報のお知らせ係に徹するのがお決まりコース。
でも夏は違った。車関係だった前職の経験もあって様々な車を触っていたことがある私も、「無理をしない」という条件で運転手としての頭数に親が入れてくれたのだ。そのとき運転したレンタカーもたまたま私がよく運転していた車種だったこともあり、この帰省のときに一部区間の運転を許してくれたのだ。

時刻は朝5時頃、「美知、運転いけるか?」。岩手の前沢サービスエリアでの最後の休憩中にこう言われたときは、「行ける」と即答したと同時に、すごく嬉しかったことを覚えている。
約100kmくらいの距離だったけれど、運転させてくれたこと、そして家族の中でも力になれたんだと思えて自信に繋がったのを覚えている。
でも、2泊3日の岩手での滞在期間に私が車のハンドルを握ることはなかった。

滞在期間中は妹の旦那が岩手で初めて過ごす夏ということもあっておじいちゃん・おばあちゃんと色んな所に行ったけれど、運転するのは基本的に妹旦那か父親。まだ何度も岩手に行ったことのある父親が専任で運転するならわかるけど、初めての岩手での夏という妹旦那には運転手という大役ではなく、普通に道中の景色を楽しんでほしかったなともやもやしながら観光する時間をやり過ごした。
それと同時に、父親には「なぜ岩手の道や感覚を知っている私ではなく妹旦那に観光のときもハンドルを任せるんだろう」と疑念を持たざるを得なかった。というか、そのもやもやと疑念で、もっと楽しめたであろう帰省での滞在期間が辛くて、1人だけホテルにこもっているとか自分だけ盛岡にいる友達のところに会いに行くだとか自由に行動させてほしかった。それくらい嫌だった。

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埼玉の実家と岩手のおばあちゃんちは500kmくらいの道のりなので、さすがに運転手としての頭数に帰りは私も加わったが、私が許された運転区間は遠野インター近くにある道の駅から、行きでも立ち寄った同じ岩手県内の前沢サービスエリアの約100kmくらいだった。
本当はもう少し先の宮城北部に位置する長者原サービスエリアまで運転する予定だったらしいけれど、大雨予報が影響していたらしく、前沢サービスエリアまで運転したあとは父親と妹旦那が運転することとなり、私がハンドルを握ることは許されなかった。

ただでさえ滞在期間の中ですごく嫌悪感を覚えていた中で、せめて予定されていた長者原サービスエリアまで運転できていたら、少しはこの嫌悪感も和らいだかも知れない。でも結果としては私が運転を許されたのは前沢サービスエリアから遠野インターの区間とその先の少しの一般道だけ。私の心に残ったのは父親に対する嫌悪感と、いくら薬を飲んでいるからとはいえ、行き来でしか運転手としての頭数に入らなかったという事実に対する無力感だった。
気を遣って「どこか短距離でもいいから運転する?」と父に聞いても「お前は黙っていろ」と言わんばかりの言葉が返ってくるだけ。もう私の心は壊れかけていた。とにかく少しでも早く埼玉に着いてほしかった。

前沢サービスエリアから先、男性陣の安全運転のおかげもあって無事地元に帰って来ることはできたけれど、家に着いてからの荷下ろしのときに父親はきまってピリピリすることは分かっていたから、ちょうど自分が座っていた最後列の位置からできることを聞いてから降りようかこれまた気を遣ってみたけれど、ピリついている父親には私の一挙手一投足が気に食わなかったようで辛辣な言葉が帰ってくるだけだった。
私の心は無力感でいっぱいになり、壊れてしまった。

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それ以来、今まで何かイベントの存在を知るたびにサポートの申し出をしてきたけれど、断られたり、関わったところで自分の心が壊れるような展開になることを恐れるようになってしまい、本当は手伝えたかもしれないところを手伝わなくなってしまった。

素顔の私は周りが思っている以上に脆くて大切なときに断られることが嫌い。特に、自分にとって大切な身内や友人に断られたりしたときは。断られる度「あ、私は用無しか」とそこそこ大きいダメージを受けながら、本当に私のことを必要としてくれている人たちのために奔走する。