自分の感情を知るために、文章を書いてきたと思う。
幼いころから本を読むことが好きで、文章にはそれなりに慣れ親しんできた。ただ本を読むことが好きな状態から、自己表現として文章を書くことが好きになったのは、小学生の時である。

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国語の授業で、小説を書くという課題が出た。その時初めて、自分の想像、妄想、考えていることを文章に起こす体験をした。
ちょうど、幼いころからおしゃべりで活発だった私が、周りの女の子たちの目を気にして授業で手を挙げなくなったり、おしとやかなキャラクターを作り始めたりしているときだった。周りを気にして苦しくなっていた時でもあったからか、普段思っていても口に出したら笑われてしまうのではないかというようなことでも、物語として書き起こして消化することは許される気がしていた。

しかし、書く習慣が自分にあったわけではなく、字が汚いことがコンプレックスだったこともあり、小学生の頃は書くことをストレス解消に使うことはしていなかった。

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その後もさまざまなかたちで文章を書き、読んできたが、その中で自分にとって一番意味があったと思えるものは、自分の感情や考えていることを殴り書きした文章である。
ただただ思うままに書き連ねていたため、まともな文章になっていないものもあるかもしれない。私は高校生の頃から、行き詰ったときや自分がどうしたいかわからなくなった時に、自分の感情や考えを目に見える状態で整理するために文章に書き起こすようにしている。

求められていることが自分にはあまりにも重く、頼れる人も周りにいなくて、キャパオーバーになってしまったとき、部屋にあった紙を適当に拾ってそのとき自分が思っていたことをバーッと書き連ねてみた。思っていても滅多に口には出さない、出してはいけない感情やことばを自分の外側に出してみた。

特にそれをしたことで状況が良くなるわけではなかったが、自分が持っている感情に気づいてあげて、書きだすというかたちで認めてあげることで、ひとつひとつのネガティブな感情に折り合いをつけて動くことが出来たと感じる。
それまでは自分のネガティブな感情をただただ打ち消してなかったことにしようとしてきたが、ちゃんとその感情の存在を認めてあげることで感情的になりすぎることも減った気がする。

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大人になるにつれてSNSを使うようになってきた。ただ、やはりまわりの目を気にして本当に考えていることを発信してみようとは正直ならない。
文章を書くことは好きだし、自分にとってそれが自分を保つ手段にもなっているが、私には未だに自分の手元にしか残らないものに書き起こすだけで精一杯だ。しかし、SNSなどの誰にでも閲覧できる場所で自分の考えを書き起こすことが出来る人は強く、かっこいいと思う。

SNSでの炎上や誹謗中傷を見ていると、考えだけではなく発信した人のアイデンティティまで否定されているように思えて、一切関係がなくても嫌な気持ちになる。その場に参加したいと思えなくなる。そんな中でも発信することを止めない方たちは、強い信念をもっているからこそ、誹謗中傷に傷つかないとまではいかずとも、自分の考えを流されずに持ち続けられるのだろうなと思う。

私も、自分だけで留めている考えや感情を、そのうちもっと外へ出せるようになりたい。自分を知ってもらうことは人を動かすことにもつながると思う。