「自分の一番見せたくないところを全国配信する」。当時23歳の私は外見のコンプレックスや借金によってどん底だった人生を立ち直すため、その選択をした。

私はYouTubeで動画配信をしている。名前は「整形アイドル轟ちゃん」。美容整形の感想や、メイク、ファッションなど美容全般について発信し、今ではありがたいことにそれを仕事にできている。私が動画配信をするきっかけになったのは2016年の冬。200万円をかけた鼻整形のダウンタイム中に、鼻血を出した姿やパンパンに腫れた顔を写し、「整形ってビフォーアフターだけ見たら魔法のようだけど、実際はこんな感じなんだよ」という現実を公開した。なぜ私が美容整形をしようと思ったのか、についてはまたの機会にお話したい。

轟ちゃん整形前の写真
轟ちゃん整形前の写真

撮り始めたきっけは「ただ暇だったから」

撮り始めたときには「YouTuberになりたい!」とか「有名になりたい!」などというキラキラした理由はなかった。借金返済の足しになれば、と思ったのと、ただ暇だったからだ。

そんな風に始まった私の動画配信だったが、20本ほど投稿し、3ヶ月ほど経ったある日、自分の動画に広告がつくようになった。YouTubeは1,000人のチャンネル登録者と、一定の再生時間のラインを越えると広告を表示できるようになる。広告がついたということは、お金が稼げるようになったということだ。私は動画投稿を始めて100日ほどで、「YouTuber」になった。

動画配信はとにかく楽しかった。同じように容姿で悩む人との感情共有、着実に増えていく数字による達成感、今まで知らなかった自分のクリエイティブな部分を見つけていく発見の連続、そして収益によって生活の苦しさがなくなっていく救い。とにかく「初めて」の連続で、私は本業である接客業との両立で忙しい日々の中、取り憑かれたように動画投稿を続けた。中でも人気だった動画はやはり美容整形について。ダウンタイムの汚い姿を配信したことで、「整形がこんなに辛いことだとは知らなかった」「こんな貴重な映像を見せてくれてありがとう」と、嬉しい言葉をたくさん頂いた。

再生回数と比例して増えるコメント欄での暴言。反論すれば「大人げない」

しかし、日々届く言葉の中には、残酷なものもたくさんあった。美容整形に対する偏見の目は未だ消えない。動画投稿を始めた2016年頃は、今よりもっとひどかった。「美容整形をするなんて頭がおかしい」「どうせ男にチヤホヤされたいだけの汚い女」「親の教育がダメ」等々、時には家族にまでその暴言は及んだ。動画の再生回数が増えれば増えるほどこれらの言葉たちもどんどん増えていき、始めはしっかり管理していた動画のコメント欄も、もはや手がつけられないほどになった。個人情報などが書かれても、反論すれば「大人気ない」と叩かれるので、我慢してそっと削除する他なかった。

整形への非難だけでなく、ただ私が気に食わないからと誹謗中傷をしてくる人たちもいた。悲しかったし悔しかったし、時々泣いた。でも、「自分もでかい存在になったな」と達観し、いつの間にかその痛みに慣れようとする自分もいた。不思議な感覚だった。今思えば、まだ覚悟もできていない短い期間で、いきなり大勢の人間の汚い感情に触れ、「轟ちゃん」である自分と「私」との間にズレが生じていたように思う。追いつかないほどのスピードで、「轟ちゃん」はあっという間にYouTuberになってしまった。たった100日で矢面に立たされるのは早すぎた。自分でも想定していなかった事態だし、嬉しさの反面、未だに戸惑っている。

数秒の動画、一枚の写真で、誰もがトップスターになれる時代

今は、本当に些細な出来事で有名になってしまう時代だ。私だって、一本目の鼻整形の動画がなければテレビに出ることも、街中で握手を求められることもなかっただろう。SNSの普及によって、昔では考えられなかった方法で有名になる人が続出している。Tik TokInstagramなど、たった数秒の動画、一枚の写真からトップスターになる人もいる。

そして、「有名になる」ということは必ずしも良い方向であるとは限らない。いわゆる「炎上」や外見叩きなど、マイナスな情報で全国に顔が知れてしまうこともある。誰かの撮った写真の後ろに写ってしまっただけ、たった一本動画を撮っただけ。そんなことで誰かに「有名にならされてしまう」ということも、往々にしてある。

明日、自分が有名になるかもしれない。明日、自分が誹謗中傷の被害者になるかもしれない。明日じゃなくても、100日後にはなっているかもしれない。私のように。それは全く不可能なことではないし、今の世の中ではありふれている出来事だ。特別な才能がなくても、可愛くなくても、特徴がなくても、良い意味でも悪い意味でも有名になってしまう。

「叩かれる覚悟」はある。だけど誹謗中傷が正当化される理由にはならない

私たちが叩かれることに対して世間はこう言う。「有名税でしょ」「それくらい、大勢の人に見られる仕事をするなら覚悟しないと」。有名税ってなんだ。覚悟ってなんだ。もちろん叩かれ始めたとき、どこかで「覚悟決めないとな。」とは思った。でもそんなのはこちらの話で、誹謗中傷が正当化される理由になどされてはいけないはずだ。

今テレビに出ている人だって、100万再生を連発するYouTuberだって、1年前はどうだっただろう。中身はただの人間なのだ。ひどい言葉を浴びせられたら傷つくし、ムカついて反論することだってある。100日で有名になった私は、それを痛感している。

「明日自分が叩かれたら」。あり得ないと思わないでほしい。画面の向こうに未来の自分がいると想像して、言葉を発信してほしい。その言葉で、未来の自分は喜んでいるだろうか。