文章を書くことには、いろいろな種類があると思います。大きく分けると、主に自分のために書く文章と主に人に向けて書く文章があり、そこを軸にさらに種類がたくさん分かれます。

例えば、主に自分のために書く文章は、日記や日常でたまに取るようなメモです。主に人に向けて書く文章は、手紙、本、雑誌、SNSでのやりとりなどです。本や雑誌などは自分のためでもあり、人のためでもあると捉えることもできるでしょう。

そしてこれらに共通しているのは、自分の中にある思いを言語化する、ということです。そして言語化することによって自分の想いを整理したり自分を発見したり、また相手に何かを伝えることができるという意味があると思います。

今回は、私が相手に思いを伝えるために文章を書いたエピソードをお話して、文章を書くということは自分にとってどんなものなのかを考えていきたいと思います。

◎          ◎

私は文章を書くことがどちらかといえば好きな方だし、得意でもあると思います。
SNSのメッセージのやり取りで短文が多い現代っ子に比べると私は長文が多いし(とはいえ私も19歳なのですが)、どういう風に文章で伝えたら分かりやすいかなということを考えていつも文章を書いています。

あるとき、友達にされたことで悲しい気持ちになったことがありました。後日それについてその友達から探りを入れているようなSNSのメッセージがきたため、その友達のしたことによって自分は何が悲しかったのかを具体的に書いて伝えました。

どうしたら気持ちが伝わるかな、怒っているように捉えられないように文をつくらなきゃ、と私なりに一生懸命考えて文章をつくって自分の気持ちを伝えました。

その後もいくつかはやり取りしていたものの、相手からの誠意はあまり伝わらず、という状況でした。そして、相手から最後に返ってきた言葉は、「もうこれまでだね。これ以上やりとりしても話が平行線になりそう」でした。
あっさり縁が切れてしまいました。

相手が私にしたことは、私に本来話すべきことを話さず何週間も隠していたということで、きちんと自分のしたことを話して謝ってくれさえすれば大したことでもなかったはずなんです。
しかし、これまでプライベートで遊んだり同じサークルに入ったり、または相手が困っていたら手を差し伸べたりなどして育んできた友情が、この文章のやり取りで終わってしまい、私はとても情けない気持ちでした。

この一件で、文章で相手に思いを伝えたり話し合いをするのは本当に難しいなと思ったし、大げさな言い方になってしまいますが、文章によって人間関係が大きく変わるような、そんな影響力を持っているんだなと思いました。

◎          ◎

そしてそのときから、私は文章を書くことが少し怖いです。もともとよく考えて書く方ではありましたが、それがあだになってしまったような気がして、ある意味自分がもっとあっさり淡々としていたらよかったのにと思いました。

どうにかして自分の気持ちを伝えたいなという思いが募りすぎてしまい、相手からしたら面倒くさい奴になっていたのかもしれません。自分は良かれと思ってしたことが相手にとっては良くなかったのでしょうか。

私は今まで分かりやすく文章を書ければよいと思っていたのですが、そうとは言い切れないということを学びました。時と場合によっては、分かりやすく相手に伝わるように書くことだけが正解ではないのです。

◎          ◎

もうあれから1年以上が経過しましたが、今でも何が正解だったのか分からないし、文章を書くことに正解はないんじゃないかなと思います。でも言葉で発するのと同じくらい、もしかしたらもっと文章にはいろいろな影響力があるのかもしれないと思い、今も私は文章を書くことについて勉強中です。

一番最初に、文章を書くことには自分の想いを整理したり自分を発見したり、また相手に何かを伝えることができる意味がある、と書きましたが、ある意味それは一般論であって、自分にとって何かと聞かれると明確な答えは出てきません。

私は「文章を書くということ」を勉強しながら、一生向き合っていくでしょう。