私には世界で1番嫌いなスローガンがある。それは、「〇〇のためを思って」という言葉だ。
この言葉は呪いだと思う。相手の善意を受け取らなきゃいけない空気が私を苦しめる。本当に私のためを思ってくれているならその言葉を私に向けないでと、心の中でいつも思う。

「〇〇のためを思って」というフレーズは色々と応用が利く。「あなたのためを思って」、「みんなのためを思って」、そして「女性のためを思って」。今回は「女性のためを思って」で感じた、全然女性のためを思われてないエピソードを紹介する。

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18歳の春、私は岡山県の山奥ド田舎生活から解放された。
私がやってきたのは、大阪府。西日本で1番の都会にやってきた。
そこで、田舎にはなかった、お店、サービス、文化に出会った。中でも驚いたのは女性専用車両だった。地元の電車には女性専用車両なんてなかったし、ニュースでしか見たことがなかったので都会にやってきたという実感が急に湧いてきた。
この時の私は、まだ女性のためを思って作られた女性専用車両に苦しめられるとは思ってもみなかった。

せっかく女性専用車両のある大阪の街に出てきたものの、馴染みがないことや私自身があまり必要性を感じていなかったこともあり、結局一般車両を利用することのほうが多かった。
そんなある日、ガラガラの電車内でやけに距離を詰めてくる男性の隣に立ってしまった。すこしの気まずさと、もしかしたら……という胸いっぱいに広がる不安で私は目的地に着く前に停車した駅で下車した。降りた瞬間、緊張の糸が切れてその場にしゃがみこんだ。

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その様子を見ていた年配の女性に、「お姉ちゃん、女性専用車両があんのになんでそっちに乗らんの?痴漢してくださいって言ってるようなもんやで。」と言われた。
私は電車内での出来事よりも、この言葉のほうがショックだった。女性のために作られた任意で使える車両があるがゆえに、使っていないと何かあっても私が悪いことになってしまうことが受け止められなかった。

声をかけてくれた女性は、私のためを思って言ってくれた。女性専用車両は、女性のためを思って作られた。でも、当事者の私は、全然思われている気がしなかった。思われているはずなのに、結果として傷ついた。
だから私は、「○○のためを思って」というスローガンを前面に出す風潮を変えていきたいと思った。

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誰かのためを思う心も、みんなのためを思う心も、素敵なことだと思う。でも、それをスローガンにしてしまうと、スローガンにしている人たちとは違う価値観の人たちの生きにくさに繋がってしまう。これから、新しい制度や仕組みを作るなら、価値観の違う人たちの生きにくさに繋がらないかも気にしてほしいと思う。

急には世界を変えられない。これから何年もの間、嫌でもこのスローガンに直面する場面があるだろう。だからこそ、覚えておいてほしいことがある。それは、「〇〇のためを思って」の〇〇のカテゴリーに当てはまる人たちは、その善意を無理に受け取らなくても良いということだ。断ったって良い。受け取りたいときだけ受け取ればいい。

そして、「〇〇のためを思って」と言葉を投げかける人たちも、その善意を受け取らない選択を認められる心を持っていてほしい。どちらの選択をしても、相手の選択を尊重して、どうか否定することのないようにしてほしいと思う。

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きっと、ここまで読んでくれた方の中には、まったく共感できなかった人はいると思う。私はそれでいいと思う。なぜなら、この文章のスローガンは、「女性のために」ではなく、「少しでも知ってほしい」だったのだから。
私のような考え方を知ったとき、賛成でも反対でもそれは受け取る人の自由。何を考えるのかも、どう感じるのかも、十人十色で良いんだよということだけでも伝わっていれば幸いです。