文字と色に関わる仕事がしたい。最初にそう思ったのは、まだランドセルを背負った小学生の頃だった。
キラキラしたものが好きで、アイドルになりたかった。でも周りにチヤホヤされるのは私じゃなくて、クラスの可愛い女の子。ネタキャラとしていじられる私には、そのポジションは無理なんだなと子どもながらに察した。
次に目指したのはデザインの仕事。洋服やケーキやいろんなもののイラストを描いてみたけど、それを再現する才は自分にはない。極めつけに図工の時間に「お前は書くものをきちんと見ていない」と先生に言われ、絵での表現も難しいのだと知った。
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小さな挫折を積み重ねた経験してきた私が、得意だと言えることが勉強だった。今となっては井の中の蛙でしかなかったのだが、苦手なことをプラスに変えるより、長所を極めた方がいいのではと考えた。
運動や得意でない芸術系の練習をするよりも国語などの勉強、読書。新しい知識を得られるのは純粋に楽しかったし、自分の武器が増えていく感覚、新しい景色がどんどんと広がることは自分の自信にもつながった。
そんな時、改めて自分のやりたいことを棚卸ししたときに出てきたのが冒頭の夢だった。私自身が特別なものになれなくても、私の書く文章が誰かの感情を揺さぶるものになったらいい。新しい世界を見るきっかけになったらいい。我ながら幼い頃から立派な目標を持ったと感じる。
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それから数十年。他にもやりたいことができたり、また挫折をしたりと紆余曲折ありながら、自分の名刺には『コピーライター』の肩書きが載っていたことがある。
そう、過去形である。
理由は簡単で、自分が自分の文章に納得できなかった。好きなことを仕事にするのは辛い、なんて言うが正しくその通り。理想は夢物語でしかなく、仕事の量に追いつかないのなら、手を抜けと言われる。しかし質の評価もされ、自分で納得いっていないものにはそれに伴う評価しかつかない。頭では理解していても、その状態に身体も心もついていかなかった。
もう書くことなんてしたくない。そう思いながら退職を決めた私に、別部署の同期がメールをくれた。
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「私はあなたの書く原稿が好きだったよ」
コロナ禍のコミュニケーションも減っていた時期。お互い仕事に少し慣れ、案件が一緒でなければ会話も少なくなっていた。同期としては最後の挨拶くらいの深い言葉ではなかったのかもしれない。
それでも、この言葉がなかったら、私は一生文字を綴ることをしなかったと思う。それくらい、人生にとって大切な言葉で、結局私は人の書く文章に、言葉に助けられた。
私の文章を好きだと言ってくれる人がいる。楽しみにしていると言ってくれる人がいる。幼い頃に描いた夢は、いつの間にか叶っていたようである。そして結局私はまた、こうして筆を取るのだ。
今日も今日とて、伝えたいことを考え、パソコンの前に向かう。有名人でも政治家でもないけれど、私の言葉で誰かが幸せになれたら。それほど幸せなことはないと思うのだ。