私は普段、人と会話をしていて、自分の考えを上手く伝えきれないことが多い。その場の雰囲気を壊したくなくて、言葉を飲み込んでしまうこともある。そして別れた後、「あの時もっとこう言えばよかった」「あの言い方だと、誤解を招いたかもしれない」と、一人反省会を始める。
なので私は、その場で伝えきれなかったことは、後で文章にまとめて、メッセージで送るようにしている。
自分の考えを一度持ち帰って、整理して、文章に書き出して、より的確に伝わる表現方法を見つけ出す。それが瞬発的にできればいいのだが、私にはどうやら難しいらしい。それでもちゃんと気持ちを伝えたい時や、直接話すと感情に任せて、余計なことを言ってしまいそうな時は、文章に頼ることにしている。
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私には、いつも一緒にライブに行く友人が二人いる。彼女達とは長い付き合いで、ライブ以外でも食事をしたり、旅行したり、好きなアーティストを通じて出会ったとはいえ、もはやただの友人である。
いつもなら大騒ぎして楽しむはずのライブだが、コロナ禍になって、飛沫感染防止の為、ライブ中における観客の声出しは禁止された。その他、感染を拡大させずにライブを開催する為の、ルールがいくつか定められた。いつも通り楽しめないのは残念とはいえ、難しい状況下でも、ライブを開催してくれるだけありがたい。
私達はいつも通り駅で集合して、いつも通り新曲がどうのとか、あの音楽番組がどうだったとか話しながら、ライブ会場へ向かった。
ライブが始まると、会場内は割れんばかりの拍手と、熱気で包まれた。アップテンポな曲が続き、観客のボルテージは上がっていった。
しばらくすると、アーティストが私達の座席のすぐ近くでパフォーマンスを始めた。今まで数々のライブを見てきたが、あの距離で見られたのはおそらく初めてだった。
すると、隣の席の友人達が、大声で騒ぎ出した。
盛り上がるのは当たり前だし、興奮するのは仕方がない。ただ、ルールだから発声を控えようという気はなさそうだった。「止めさせなければ」という思いと、「目の前で繰り広げられているパフォーマンスを楽しみたい」という思いの狭間に、私は追いやられていた。結局私は何も言えなかった。
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案の定、近くにいたスタッフから注意を受けた。声をかけられたのは、一番端の席にいた私だった。
まぁそうでしょうね、と思ったのと同時に、なんで私が怒られているんだろう、と思った。
私はあの瞬間からずっと、ライブが終わって家に帰っても、翌日仕事に行っても、胸の奥がもやもやしたままだった。
守るべきルールを守らないのは、アーティストを含むたくさんの人に迷惑をかける行為である。どうでもいい友人なら、私は何も言わずに距離を置いただろう。しかし、彼女達は特別大切な友人なのだ。もやもやした気持ちのまま、今後も付き合いたくはなかった。
私は文章を書いた。
決められたルールを守ってほしいこと。周りにどれだけ迷惑がかかったか理解してほしいこと。その場で注意しなかった私も悪かったと、後悔していること。私はこれからもあなた達と、ライブに行きたいし、仲良くしたいこと。
長い時間をかけて、考えては消して、練りに練って完成させた文章を、メッセージアプリで彼女達に送信した。
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正直怖かった。これで否定されたら終わりだと、友人を失うかもしれないと、怖くてたまらなかった。返信を待つ間、恐怖を通り越して、胃が気持ち悪かった。
しばらくして、「そんな気持ちにさせていたとは思わなかった」「ごめんなさい」と返信がきた。どうやら、私の気持ちは伝わったようだった。
私は胸を撫で下ろした。理解してもらえなかったらどうしようかと思った。その後、直接友人達と会っても、以前と変わらず楽しく過ごすことができた。怖かったけれど、逃げずに、自分の言葉で伝えてよかったと思った。
私にとって、自分の考えを文章にするということは、自分と向き合うことに繋がると思っている。今自分が感じていること、頭にあることを具現化し、アウトプットすることで、考えが明確になる。今まで気付いていなかった自分の気持ちを、改めて確認することができる。
人とコミュニケーションを取るのが苦手で、自分が嫌になることがあっても、私にはこの方法がある。そう思えば、随分と気が楽になる。
不器用だっていい。自分に適した方法で、相手と向き合いたい。
だから私はこれからも、文章を書く。誰かの為に、そして自分の為に。