空白ばかりになると分かっていても、毎年手帳を新調していた。「今年こそは埋める!」と買うたびに誓い、桜が咲くころにはすでに空白ばかりになっていた。それでも、社会人として仕事の打ち合わせのメモを管理しやすいように、と思って買っていたが、専業主婦になった今、いよいよ要らなくなった。
代わりに選んだのは、日付と曜日だけが入ったシンプルな日記帳。文庫本サイズで持ち運びやすく、書くスペースも広すぎず狭すぎずで気に入っている。

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日記をつけるようになったのは、高校生の頃。友人から誕生日プレゼントに可愛いノートをもらい、使いたくなったのがきっかけだ。マメな性格じゃないので日付は飛んでいることが通常運転だったが、使うたびに気分が上がっていたのを覚えている。

20歳を過ぎた頃、「夢や望みをノートに書けば叶う」とネットで見つけて、半信半疑で書き始めた。あれこれ妄想することが好きな私には、楽しくて楽しくて仕方なかった。
最初は、すぐに買おうと思えば買えるコンビニスイーツやコスメから始まった。次第に、「こんな部屋に住んで、こんな恋人とこういう場所に出かけて、こんな人たちとこういう仕事をしてーー」とまでふくらんだ。

日記は続かなかったくせに、これは飽きずに続けられた。文字に起こせば目標や目指すべき場所が視覚化されて、行動に移しやすくなった気がする。叶ったものもそうじゃなかったものもあるけど、一理あるのではないかと思っている。現実的に叶うかどうかは考えずに書くのが信じたもん勝ちだと思って、今でも定期的にやっている。

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ポジティブなことしか綴らないかといえば、そうでもない。最近は、ネガティブな感情を吐き出すツールとしても利用している。

誰かから言われた心無い言葉に傷ついた日や、自分のためと分かっていても、強い叱責に落ち込んだ日。ノートを開いて、頭に浮かぶ言葉をつらつら書き留める。「でも私も悪かったし」「あの人にも考えがあってのことだから」等は一度横に置いて、思ったことをそのまま文章に起こすのだ。
すると、心の中でモヤモヤしているだけでは気付けなかった感情が出てきたり、「これは私の思い込みじゃない?」と突っ込みを入れる自分が現れたりする。

ノートにこうやって書くまでは、不安や悲しみとはなるべく向き合わず、時間が解決するのをじっと待つか、無理矢理気を紛らわせるかしかないと思っていた。待つ間にじわりじわりと不安に苛まれ、気を紛らわせるために好きなことをしても、ふと悲しみを思い出してしまう。いっそのこと、とことん向き合って考え抜いてしまった方が楽だと、書くことで気付いた。

「なりたさんはきっと、頭の中でいろいろなことを考えているんですね」
先日、とあるカウンセラーから言われた言葉だ。
カウンセリングの中で、こういう事柄について私はこういう風に感じた、こう思った……と記録したメモを見せながら話をしていたとき、普段対話でやり取りをしている彼女に驚かれた。話し下手の自覚はあったが、「ああ、書いて物事を伝える方が性に合っているんだな」と強く感じた。

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文章を書くことで、20年以上付き合いのある自分の新たな一面が浮かび上がってくる。自分の中にしかないからこそ、文字に起こしてから気付く感情がたくさんある。直接面と向かって話している「私」と、文章を通しての「私」は、きっと違う人間に見えるのだろう。なんだか不思議で面白い。

気まぐれにしかペンを取らず、空白ばかりだった手帳。それが今では、空白の方が少ない。
日々感じた喜怒哀楽、やりたいことに行きたい場所など、いつの間にか書きたいことで溢れていた。
ただ可愛いノートを使って気分が上がっていたころから、自分の夢やメンタルヘルスのためのツールに変化した。そして今は、新しい自分を見つけられる面白さに魅了されている。