文章を書くことが好き。漠然とそう感じていた。
計算などの、数学的思考と比較した上での結論でもあり、苦しむことなく手紙や感想文を書くことができる、特技の1つという認識だ。

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私が、他人より文章を書いている自覚があるのは、年賀状だ。
私の家にはパソコンや年賀状プリンターが昔から存在しない。家族には、年賀状を送る習慣が昔からない。プリンターがないなら、年賀状は手書きするしかない。
毎年クリスマス前後になると憂鬱な気分になる。12月25日になると「もう、ほとんどの人は年賀状を投函しているのにな」と思いながら、渋々ペンを取る。
例年12月28日が仕事納めで、29日から年末休暇となる。休暇に入ってから、1日中年賀状作成に取り組み、紅白歌合戦が始まる前には、最寄りの郵便局に持参するのが恒例となっている。

1枚1枚手書きの上、宛名や文章を鉛筆で下書きし、筆ペンで清書する。その年の干支の絵を検索し、絵も添える。手間を掛けている。
私の中では、年賀状は新年の挨拶の役目だけでなく、近況報告を兼ねている。そのため、自然と文章が連なり、すぐに年賀状の3分の1が文字で埋まる。
相手への思いと、年賀状という「作品」を完成させようという意識が強いからだろう。近年では、LINEで新年の挨拶を交わすことが主流になりつつあり、私の手法や考え方は、時代遅れかもしれない。

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友人の1人に、海外に移住している子がいる。その子に対しては、新年の挨拶は英文で記入している。ある年には、メッセージも英文で記入し、英文の下に日本語訳も添えた。

友人は日本人なので、宛名以外は英語で書く必要はない。だが、海外に送るものは世界共通語を使おう、と決めた。久しぶりに電子辞書を使って英語に触れて、新鮮な気持ちになった。
伝えたい核の部分が、英語に直すとニュアンスが若干変わってしまうのは悲しかった。だが、必死に適切な英文を考えた時間は愛おしい。ハガキの場合、海外には一律70円で送ることができる。たったの70円で海を超え、2週間程掛けて私の分身が友人の手元に届く。不思議である。

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今回は諸事情で、本来書くべき相手の半数にしか、年賀状を2022年中に書いて投函できなかった。1月2日は年賀状配達が休みで、元旦に届いたものに対しての返信は、1月4日以降となった。

寿退社した同僚から届いた年賀状にほっこりしつつ、お祝いのメッセージに加えて、こちらの近況も分かりやすく短めに書く。連絡先の交換をしていなかった間柄のため、年賀状で伝えるしかない。
色々考えている内に時は過ぎ、いつのまにか年賀状ではなく「寒中見舞い」として送る必要が出てきた。官製はがきを必要枚数買い、寒中見舞いの書き方を急いで検索した。「明けましておめでとうございます」が使えない時期まで、新年の挨拶を引き延ばしたことへの謝罪と、1年以上分の募る思いをハガキに託した。一瞬だけ「いつも通りに思いの丈を綴ったら、相手に届く日数がさらに遅くなる」と悩んだが、私は書くことを選んだ。

また、親友とはお互いに、毎年手書きの年賀状を送り合っている。「温かいメッセージをありがとう。あなたの選ぶ言葉が好き。毎年、楽しみにしているよ」と、後にLINEで年賀状の感想を伝え合うことが恒例となっている。

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文章を書くことは、時間や労力が掛かる。だが私は、相手を思いながら手を動かしている時間を幸せに思う。私の文章が、相手にどう響くのか想像することも楽しい。文章を書く行為は、私の性分に合っているのだろう。

このエッセイは、2023年に入って最初の投稿となる。心身ともに余裕があるときには、大好きな文章を引き続き書いていきたい。私の誕生月、30歳まであと半年弱。私の書いた文章、及びエッセイを読んで下さった方に寄り添う作品を、1つでも多く生み出したい。