わたしは、毎年夏にお手紙を書く。お手紙というかはがき。暑中見舞い、時期が過ぎれば残暑見舞い。
夏のど真ん中に誕生日があるわたしは、いつも誕生日が近づくと、母の古くからの友人から誕生日プレゼントやお祝いのメッセージが届く。そのお礼状として、母がわたしに毎年必ず暑中見舞いを書かせていた。一緒にかわいいはがきを買いに行って、母に見守られながら書いていた。
2022年の夏もいつものように母の友人たちからプレゼントやメッセージが届いた。そのため、いつものように残暑見舞いを書こうと思った。
いつもは母と一緒にはがきを買いに行き、母に見守られながら書いていたが、大学生になり実家を離れたため、今回はすべて1人で行う。時候の挨拶からプレゼントのお礼、大学生活の様子、そして2022年は20歳になる年であったため大人になった自覚と抱負など、様々な内容をはがきに記した。
本屋で買った、夏らしくてかわいいはがきは3枚セットになっていた。わたしがいつも宛てる母の友人は2人であるため、1枚はがきが余った。そのまま取っておいても良かったのだが、わたしはふと、両親に宛てて書いてみようと思った。あくまで残暑見舞いとして。
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一度書き始めるとペンが止まらなかった。あくまで残暑見舞いを両親にも書こうというつもりで書き始めたのであったが、普段伝えたくても伝えられない思い、たくさんの感情があふれてきて、書きながら涙がこぼれてきた。
書いているうちに、20歳という節目を迎えたわたしが普段は恥ずかしくて直接伝えることのできない感謝を、文章に書いて伝えたいと思うようになっていた。言葉にして、面と向かって両親に伝えることはできないが、文字に、文章にしてなら伝えられるかもしれない。そういった気持ちで夢中で書いた。伝えたいとずっと思っていた感謝。だからこそ良い機会だと思って、心に秘めていた気持ちを文章に書いた。
書き終えた後、達成感を感じながらうれしくなり、心があたたまる気持ちにもなった。
感謝を文字にできたこと、両親にこうして感謝を伝えようとしていることに対して自分が成長したように感じられたからであろうか。両親にこのはがきを送ったら絶対に喜んでもらえる。そういった自信があった。
夏が過ぎ、冬を迎え、成人式も終えた。もう少しすれば春が来ようとしている。
わたしの部屋には大きな棚がある。わたしが居候させてもらっている伯父の家に元々置かれていた棚である。そこの一角に、去年の夏に書いた、夏らしくてかわいいはがきが見える。
結局、一緒に送れなかった。家に切手がなかったので、郵便局に切手を買いに行くついでに投函しようと思って3枚のはがきを持って出かけた。しかし、2枚の切手しか買わず、鞄に入れたまま取り出すことなく、1枚のはがきは持って帰ってきた。そのはがきが今も、わたしの部屋の棚に置かれている。
わたしはいつこのはがきを、感謝を両親にとどけることができるのだろうか。まだ今のわたしはそこまで大人になりきれていなかった。
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文字や文章には気持ちが乗る。手書きならなおさら。この前はがきを書いていてそう感じた。そして伝えたいことがあるとき、文章に書いてみるということがいかに大切なのかということにも気づいた。それが本当に伝えられるかはわからないにせよ、その過程がわたしにとってはとても大きな出来事だった。
また今年も夏にはがきを3枚セットで買おうと思う。