私にとって文章を書くということは、小説を書くことにつながる。
そこで「なぜ小説を書くのか」と聞かれれば、私の答えはこうだ。
「私には文章でしか自分の物語を表現する術がなかったから」だ。

自分の考える物語を表現する方法はいくつかある。小説のほかに漫画などのイラスト、ドラマや映画などの動画、舞台なんかも含まれるだろう。その中で小説を選んだ理由は先ほど書いた通り、私には文章を書くことしかできないからだ。

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何か物語を作りたいと思ったのは小学5年生のときだ。この頃は図書室にあるいろいろな本を読んだり、少ないお小遣いで書店で小説や漫画を買ったりもしていた。
そんな環境の中、当時の私の頭の中には『物語を作る』ということにおいてふたつの選択肢があった。

文章ーー小説で物語を書くか、絵ーー漫画で物語を描くか。
このふたつが提示されて、私は小説のほうを選んだのだと思う。実際初めて小説を書いたのは小学5年生のときだった。それを今でも手元に残してあるが、小説と呼んでいいのかもわからないくらいに酷い。

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小学5年生だった私が小説を書くほうを選んだのは、ごくごく普通のことだったと今でも思う。なぜなら私は絵を描くのがうまくないからだ。そのときにどうしてもうまくなりたいと猛練習をしていれば、今私は文章でのエッセイではなく、コミックエッセイという形でエッセイを描いていたかもしれない。

早々に漫画での創作をあきらめたのは、そもそも私自身、漫画よりも小説のほうに心を惹かれていたからだ。

当然ながら文章のみで構成されている小説。私は新たに小説を読む度に、文章を読むだけでこんなにも世界が広がるのかと驚き、憧れた。
世界が広がるという感覚は、本当に小説が好きで読んでいる人にしかわからないものだと思う。文章だけの物語には自分の想像力という労力が必要になるからだ。小説は読み手の想像力が伴わないと完成しない。

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そう考えると、小説より漫画を読むという人が多いのは納得だ。漫画は想像しなくても絵としてすでに答えが出されている。この場面で主人公はどんな場所にいてどんな表情をしているのかが一目でわかるようになっていて、物語を欲している人にとっては漫画のほうが楽なのだ。ドラマや映画、舞台にも同じことがいえる。登場人物の心情を深読みすることはあっても、場面そのものを想像することはない。

それでも私は小説に心酔してしまった。傍から言わせれば文字の羅列の紙束に、その中に広がる無数の世界に惹かれたのだ。

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冒頭で、私が小説を書く理由は「文章でしか自分の物語を表現できないから」と書いた。
しかし、これは少し間違っているようだ。
漫画でもドラマや映画といった動画でも舞台でもなく、私は小説で自分の考える物語を書きたかったのだ。

文章だけの世界を書く人たちに憧れたあの日から、私にはずっと小説しかなかったのだ。
だから今日も私は文章をーー小説を書く。
私の中から物語が生まれる限り、私は小説を書き続けるだろう。どんなに短いお話でも、どんなにちっぽけな物語でも、私は書く。
それほどに好きなのだ。文章を、小説を書くことが好きだ。
文章を書く理由なんて、それだけで十分だろう。