こんなにも結婚、結婚と言われる未来が待っているなら、学生時代に勉強なんか頑張ったりするんじゃなかった。それよりも、より家庭的で「可愛い」女になるための勉強をした方がはるかにマシだった。
帰省するタイミングや、誕生日などの家族と連絡するタイミングで、直接的にも間接的にも「いい人いないの?」「結婚しないの?」と聞かれるたびに、気分が下がる。まるで自分が落ちこぼれのように感じて、みじめな気分になる。

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大学受験も、入社試験も、私は「結婚」するために頑張ったわけじゃない。
私の学生時代は、どちらかというと「女性も自立すべき」という学校の先生や大人が多かった。その言葉を信じて、女性も一生懸命勉強して一生懸命働くものだと思って今まで頑張ってきた。
それなのに、就職して安定してきた途端、「結婚」の2文字が立ちふさがってきた。まるで、次の私の未来の選択肢の中で、「一番幸せな未来」が「結婚」のように言われているような気分になる。

私は今、結婚したいという気持ちと、結婚したくない気持ちのどちらも入り混じっている。
子どもはほしいと思う。幸せな家庭がある生活にも憧れがないと言えば、嘘になる。でも、結婚して、相手の都合に合わせて退職や転職するなんて今の私には考えられない。
同じように頑張って、受験勉強をして、就職試験という性別に関係なく与えられた壁を超えた先に待っている結末が、「奥さんの方が、まぁ旦那さんに合わせるよね。普通」なんていう結末なんて一ミリも納得いかない。入口は同じように厳しいのに、出口はなぜこんなにも女性の方はあっさりと訪れるのだろうか。

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私は、同期の中では学歴が良いわけではない。特別なスキルがあるわけでもない。それでもめげずに、むしろコンプレックスをばねにして働いてきて、同期の中でも比較的早いペースで昇進している方だと思う。それに最近は、管理職になることも見据えて会社の人と話をすることが増えてきた。

今後さらに仕事は忙しくなるだろうし、成長するためにより自己研鑽に費やす時間が欲しいと思うだろう。この社会人として頑張ってきた数年間の経験を棒に振るなんてことは絶対にしたくない。もし、私が男性だったら私はこんなことを言われずに済んだのだろうか?

それに私が今結婚したいのは、いわゆる家庭的な幸せを得たいからなのか、家庭も仕事も両立するワーキングマザーとしてのキャリアのために経験を積みたいのかさえもわからない。キャリアのために結婚したいなんて、打算的だと自分でも思ってしまい、どうしても結婚に対してポジティブな気持ちになれない。

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世間的には、「今の時代は女性も自立してないといけない」、「日本経済を支える働き手として女性も重要」という風潮もある中で、少子化問題が取りざたされるたびに、なんとなく非難されている気がする。

確かに時代は変わったけど、女性がスーパーウーマンになったわけではない。仕事もバリバリして、同時に家事も育児もこなせるほど身体的に進化したわけじゃない。確かに、そういう女性も中にはいるかもしれないけれど、それを基準にするのは、オリンピックに出るアスリートを基準に「ほら、人ってあれだけ早く走れるだから、君もあれくらい走りなよ」と言っているようなものだ。どちらもやるには体力も精神力、どれほど必要なのだろうか。

大学受験も就職も、就職後の仕事内容も変わらないのに、終わりがあっさりと訪れるなら、最初から入り口を変えてほしい。そうであれば変な希望を持たずに入れたのに。