高校3年生の2月下旬、私は絶望していた。受験した早慶上智、全部が「不合格」だったのだ。
先生が「どこかひとつくらい引っかかるだろう」と脳天気だったことに釣られていたので、この結果になるとは予想していなかった。

そんな中、センター利用で受けていた、滑り止めの学校からの合格通知が家に来た。私は「捨てる神いれば拾う神あり」と思ったし、「天の助け」だと思った。
一回もオープンキャンパスにも行ったことがない、大学の最寄り駅もわからない、思い入れがない学校だった。しかし、テレビではその大学を卒業しているタレントが「高学歴タレント」と評価されているくらいだし、ボロボロに打ち砕かれた私の心を救った。
高校の先生に合格を連絡をすると、本当に喜んでくれてた。「この大学はいい学校だよ」「浪人するのも進学するのもあなたの自由だよ」と。

浪人してまた早慶に挑戦しろと言う母。私は泣いた

しかし、それを許さないのが母だった。1年浪人をしてまた早慶に挑戦しろ、もしくは国公立志望に変えろと言ってきた。
私も高校3年間、やるだけのことはやったのだ。仕上げて受験に臨んだ。
センター試験のような簡単な問題なら高得点が取れるが、早慶上智の独自の問題には歯が立たないほど、自分には応用力がないことがわかっていた。
受験会場で対面する難問奇問が怖かった。これは1年勉強を重ねたくらいで何とかなるとも思えなかった。少しパニックになって、自分の力の8割も出せなかったので、自分のことが「本番に弱いタイプ」だと確信した。1年浪人しても、同じ結果になる可能性もある。

わんわん泣いた。
周りが大学生をしているのに、また1年勉強ばかりする生活が続くのかと思った。母には土下座でもして何とかしてもらおうと思った。
早慶レベルの人が入社する会社に入ることを約束するから。入学したら大学生として遊ばずに真面目に勉強するから。サークルも入らないから。公認会計士の資格を取るために予備校に通うから。仮面浪人して来年も受けるから……。
だからお願い、どうか入学金を払ってください!

私は浪人を勧める母と興味がない父の「子供」。目が覚めた

私のサボり癖は、母が一番知っていた。そして、母は私の高校の進学実績を根拠に、浪人を勧めた。受験勉強をサボって友達とカラオケに行った日のことを引き合いに出し、こういう日が積み重なって不合格になったと非難してきた。あと1年は全部禁止で勉強に打ち込めと言ってきた。
泣いている私を尻目に、母は祖父母に受験結果を電話した。
「○○大学には合格したんだけど、蹴ってもう一年頑張るっていうのよ」
あそこまで拒んだ大学を蹴ったことを誇りに思っている姿に、不快感を覚えた。
父親に直談判をしたが、家族のことはてんで興味がない父は、母を敵に回してまで味方についてくれるわけもなかった。案の定「早慶でなければ就職のときに響くだろう」と、母の味方についた。

詰んだ。自分がまだ子供であることを痛感し、「この二人の子供」であることを再確認し、ならば「この二人が望んでいる」通りに子供をしないといけないのだと悟った。説得したら子供の目線に立ってくれると思っていた自分が馬鹿だったと気づいた。
目が覚めた。全部を諦めた。明日からは両親の言うように生きていこうと決意した。
この日の夜は眠れなかった。

早大に入学後、堕落した大学生活でも親はどこか嬉しそう

清々しい気持ちで、予備校へ入学した。先生の言う通りに勉強したら、1年後はあっさりと早稲田大学に入学できた。
入学した早稲田大学で、サークルに入り、酒を煽り、授業をサボったが、親はどこか嬉しそうだった。資格など取らず、授業も真面目に受けていないのに、親戚一同の集まりで「早稲田大学生ってすごいね」と言われた。
こんな堕落した大学生のどこが、と思ったが、「1年間浪人した甲斐があったな」と思うようにした。

そこそこ有名な企業に就職した。同期のほとんどが、国公立か早慶の出身だった。
あの夜、母と喧嘩したことはどちらが正しかったのか、今もわからない。ただ一つ言えることは、最近、母は「外交官か商社マンと結婚しなさい」とうるさいということだ。
今、私と交際している人は、私よりも年収が低い。また土下座が必要になるかもしれない。
一晩中泣いて謝っても、結婚を許してもらえないかもしれないと思うと憂鬱だ。