ダジャレを3秒に1回言う友達がいる。そんな素敵な感性を持つ彼女に、一度だけ「きゅん」とした経験がある。

冬になると私たちは毎日のように喫茶店に通う。そこで話すのはほとんどが恋の話だ。
クリスマスが過ぎ、イルミネーションが余韻に浸るのを許容するかのように、まだ街に彩りが残っていた頃。私はいつものように喫茶店で彼女の相談を聞いていた。その日も、穏やかな印象を醸し出すマスターに向かって、「ゆずはユズレネエ!?」と彼女は大砲を食らわすのだった。

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彼女の話はあらゆる人物が次から次に出てくるのだが、基本的に主語が欠落しているので途中で話を理解するのが困難になる。ちなみに待ち合わせをするのも困難である。私は苦いコーヒーを飲みながら彼女の言葉を必死に頭の中で繋ぎ止める。
彼女の悩みは「二股をかけてしまうかもしれない」「どちらか一人と付き合ってもどうせ長くは続かない」この2つだった。

話を理解するのに困ったような雰囲気を少しでも出すと、彼女はいつも申し訳なさそうにする。そして話すのをやめ、私にこう聞くのだった。「あんたはどうなのー」と。
その日は私がゆっくりと相槌を打っていたせいか、彼女がその質問をすることはなかった。しばらくして「ここ出よ、散歩したい」と突然彼女が言い出した。店を後にして寒い夜の空気に私たちは混じった。

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都会に続く大通りのごおおっという車の音のせいで、時々脱落する彼女の声を聞き返しながら、駅に向かって私たちは歩いた。
「そいえば、聴かせたい曲ある」
彼女はスマホを出し、ほんのり赤くなった指先で再生ボタンを押す。私はスマホに耳を近づける。しかし私の耳に届くのは、車の走る音だけ。寒さで私が真っ直ぐ歩けていないからだろうか。

今度は震えながらも真っ直ぐ歩く。それでも車の音が聞こえるだけで、聞こえるはずの音楽がどうしても聞こえない。
不思議そうにスマホを見る私に「こっち!」と彼女が声を少し張り上げる。その瞬間、私は右耳の辺りに違和感を感じ、彼女の方を横目で見た。
すぐ近くに彼女の首があることに気づく。耳から5mmも離れていなかったと思う。そこでようやくジャンジャンジャン、と私の知らない音楽が聞こえた。普段聞かないリズムが、彼女の趣味が、かすかに私の鼓膜を揺らしている。

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彼女は首につけたヘッドフォンから流れる音楽を聞かせてくれた。聞こえる音楽はかすかで、彼女の首に張り巡らされた頸動脈が動く音の方が大音量で聞こえてきそうだった。彼女の鎖骨からはほんのり甘い香りがした。

私はいつの間にか自分の鼓動が早くなっていることに気づいた。鼓動が彼女に聞こえないように少し息を止める。そして「私のこと狙ってんのかー?」と恥じらいを隠すように私は笑って言った。「アホか」とすぐに返された。

彼女について大概のことは知っているつもりだった。感受性が豊かなこと、思わぬところで人見知りを発動させること。絵を描くのが上手なこと。人と手をつなぐなどの接触が苦手なこと。

今、私の鼓動が早くなったということは、彼女の素振りに胸を掴まれるような衝撃を憶えたことを意味する。首元を通じて私は彼女の感性に初めて生で触れたような感覚に陥っていた。彼女が芸術作品をどう感じているのかを、言葉以外のツールで初めて伝えられた気になったのだ。そこには私が頭をフル稼働させて理解する余地もなかった。

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ようやく彼女の一部になれた気がした。同時に、彼女の今までの悩みにも合点がいった。
恋人と長く続かないのも、二股してしまいそうになるのも。きっと彼女の可愛らしい素振りで、相手の振り子は知らぬ間に動き出すのだろうと。可愛い顔でダジャレを連発するような謎めいた彼女の世界に、男たちは手招きをされた気になるのだろうと。

以降、私は一度も彼女にきゅんとしていない。
寒い夜の空気の中で、彼女の感性は私の耳と心をじわじわと熱くした。でも一度だけ、そんな天真爛漫な彼女が「明日の朝学校に行く途中で車に轢かれて死にたい」と冷淡に発言したことがある。

何が彼女をそう思わせたのかは知らない。ただその時の彼女を私が温める方法が、何か1つでもなかっただろうかと今でもふとした時に考える。
寒かったあの日に彼女が感性で私の心を温めてくれたみたいに、私も持てる限りの感性で彼女の心を温めることができなかっただろうかと。