現在28歳の私は、ここ2年でやっと化粧をちゃんとするようになった。
読んでいる方の中には頭の中に「?」が浮かんでいる人もいるかもしれないが、本当にそうなのだ。
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高校生までは多くの学校でメイクはNGなのに、大学生になったら一斉に「化粧をしろ」という圧力に晒される。私の周りでは高校生くらいにはもうみんなほとんどの女子が化粧には興味があったんじゃないかと思うし、そういう子達にとって、大学生以降の「化粧をしろ」圧力は単に「化粧解禁」の意味合いしか持たないように見える。
しかし私はというと、母が化粧っ気がなかったのもあると思うが、私自身も小さい頃から化粧に全く興味がなかった。
そんな私にとっては「化粧しろ」は紛れもなく圧力だったが、私はそれに屈しなかった。
正直、私は自分の顔が好きだ。目鼻立ちははっきりしているし、眉毛もくっきりある。だからすっぴんのままでいたかった。そのままでもいいと言われたかった。
化粧をすることはなんだか嘘をついているような、偽りの顔を見せているような、そんな感じがして、抵抗があった。化粧の仕方も学ばずほとんどちゃんと化粧をしなかった。
今思えば、化粧をしないことで、私は特別でいたかったのだ。素顔でいることで「私の素顔は整っている」とマウントを取りたかったのだと思う。
一方で、化粧という「魔法」の技術のない自分にコンプレックスも持っていた。
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そんな歪んだ感情を持ちながら、会社に入社。会社ではさすがにマナーとして必要だということで初めは適当に化粧をしていた。
しかし、激務の中で化粧をしない先輩も多く、化粧は外回りがある時だけにするものとなっていた。
数年経ち、本気で婚活を始めた時、少し考えが変わった。
婚活は社会生活よりも、さらに見た目を品定めされる要素が強い。初めて会う時の印象は、2回目があるかどうかに直結する。
本気で婚活するならば、出来ることは全てしたい。そう考えて、初めてメイクレッスンを受け、デパコスも吟味して手に入れた。
初めて自分の見た目にしっかりと向き合うことで、薄々わかっていたけど受け止めきれなかったことを直視することができるようになった。
それは、「相手にとって、化粧をしてようと、してなかろうと、どうでもいい。目の前の人が見目麗しいかだけが重要だ」という事実だった。
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それから私は、それなりにきちんと化粧をするようになった。もちろんすっぴんでいたいときはすっぴんでいる。すっぴんで外出もする。でも以前と違って、化粧をしても、嘘をついているとは思わなくなった。
化粧は、ただの糊と粉だ。その糊と粉で錯覚を促すものだ。それでも「化粧」という魔法には、すごい効果がある。その魔法の技術を自分のものにしたのなら、その技術もまた自分の一部。自分に合うメイクは自分だけしか分からないし、自分がどうありたいかに直結するものなのだから。
今の私はすっぴんも化粧をした顔もどちらも私の素顔だと思えている。