突如始まった、マスク生活。
今ではなくてはならないものとなり、手放せない。最初は自分の身を守るために着用していたのだが、今となっては服と同じ扱いだ。身につけていないと恥ずかしいものになっている。
わずか数年。しかし、とんでもなく馴染んだマスクの着用。外すことに戸惑う人が多くいる。
私もそのひとりだ。
仕事をしているとき、誰かと話しているとき、スマホで動画を見ているとき、私はどんな表情をしているのだろうか。特に、集中しているときは表情にまで気を配らない。きっと絶妙な顔をしているのだろう、と思う。
マスクの下で、口を尖らせていても、半開きになっていても見かけ上は何も変わらない。大きな口で笑っても、口の中が見えることはない。
表情はわかりにくいかもしれないが、見かけで下品に見えないのはありがたいことだとも思う。
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私は仕事柄、人の話を聞くことが多い。
長々と話す相手と出会ったとき、正直退屈になる。文章で言えば、読点が多い話だ。
あのね、それでね、これがね、と時系列すらもぐちゃぐちゃに話す人がいる。そんなとき、きっと私はふてくされたような顔をしているのではないだろうか。
早く終わらないかな、まだ話は続くのかな、要点をまとめると中身はさほど無い話だな。そんなことを思いながら、苦虫を潰したような顔をしているかもしれない。はたまた、誰にも聞こえないように口パクで“早く終わってくれー”と言っているかもしれない。
仕事でストレスがかかったときもそうだ。イラッと来たこの感情を我慢で封じ込めることができない私は、すぐに外に吐き出すことが必要だ。これを口パクで行う時がある。もちろん誰もいないことを確認して行うのだが、表情はマスクで半分以上隠し、目元はあくまでも普段どおり。誰にも悟られないようにするのがミッションだ。本当は家まで持ち帰るか、忘れられるのが良いのだけれども、そうはいかないために口パクで発散する。
声や表情豊かに話すと、より一層ストレス発散になるのだが、口パクは意外にもしっかりストレス軽減の効果を発揮してくれる。心が軽くなる。
退屈を持て余している顔も、口パクで話す独り言も、マスクのお陰で相手に伝わることはない。目は相手を見て、適度に頷いているだけで聞いてもらえていると思わせることができる。とても都合が良い。イラッと来ていても、大丈夫だと伝えればなんとかその場を荒らさずに済む。これも都合が良い。
マスクをしていることでわかった恩恵だ。
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マスクは、素直な感情で突っ走ろうとする自分を鎮めてくれる重要なアイテムだ。
素顔の私がどんなに変な顔をしていても、愚痴を話していても、機嫌が悪くても、周囲に悟られないようにしてくれる万能アイテム。常に笑顔でいられるほど強くなく、常にきれいに表情を保っていられるくらい意識が高い人ではない。だからこそ、素顔を隠す必要は大いにある。
マスク生活を余儀なくされてから数年、世間はもとの生活に戻ろうとしている。というか、戻そうとしている。
これからは個人の判断に任せるというのだが、ならば私はマスクを着けた生活を続けるだろう。特に仕事をしているときは。
マスクを外せば、今よりおいしい空気が吸えるのかもしれない。駅まで走って、急いで電車に乗っても息はすぐに整うかもしれない。しかし、それは自分だけで解決できてしまうこと。一時的にマスクを外していれば良いだけのこと。
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ずっと隠してきた生活に慣れ、マスクを外すことは、自分の恥ずかしい部分をさらけ出すことと同じ感覚になった。今までずっと隠さずに生活していたのが信じられないくらいだ。
私生活をあまり見せるのが得意ではない私。自分自身をできるだけ隠して生きていきたいと思う。見せる必要がないのなら、見せなくても良いのではないだろうか。
これは、私が私でいられるためのメリットであるとも思う。自分らしく今の形に順応し、生きてきた。慣れたこの生活で、心地よいと思っているのなら、無理をして変える必要はない。
世間がマスクを外せといい、社会がマスクなしのスタイルを良しとしても、生きづらくなるのならマスクは着けておいて良いのでないだろうか。
マスクを着けているから触れがたい、と感じる風潮を作らず、これまでの名残だと思って受け入れて過ごせるこれからを願おう。