中学生で化粧をして学校に行っていた。
私が通っていた学校は、至って退屈な女子校だった。何十年も昔から厳格な校則を設け、伝統という名の妙なこだわりから、規則ばかりを大事にしているような学校である。

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私は14歳の頃にホルモンの病気になった。受験のストレスだったのか、急速に悪化して運動を制限されるようにまでなった。
服薬で体重が10キロも増えてしまい、加えて、皮脂の分泌が活発になりすぎて、顔のニキビが急激に増えてしまった。
見た目が激変したからなのか、周りからは人が引き潮のように離れていったのをよく覚えている。

友達はゼロになり、休み時間はトイレにこもって過ごしていた。人目が気になるようになり、なにかあるとすぐ顔が赤くなるようになったのもこの頃だ。
他人とうまく目が合わせられなくなり、風邪をひいているわけでもないのに、マスクをして登校した。誰にも顔を見られたくないからだ。常に下を向き、一日中誰とも話さずに帰ることもザラだった。運動制限で階段すら上ってはならないといわれ、学校以外に外出もできず、エネルギーを持て余していた。

何も好きなことができず、情緒も不安定で、常にイライラしていた。放課後もインターネットの世界に逃げては、空想の世界で小説を書いてその中に浸っているしかなかった。

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中学3年の秋、広島の修学旅行の部屋割りを決めた日のことは忘れられない。
私はどこのグループにも入れず、手当たり次第に頼み込むも、誰からも断られた。人数の少ない部屋のグループに入るよう、担任の教員から命じられたが、その部屋の子たちは心底不服そうだった。

その場にいるだけで迷惑な存在。決して卑屈になっているわけではなく、揺るぎない事実だった。もちろん、彼女たちの気持ちを推し量れば、せっかく楽しいイベントなのに、なんの縁もゆかりもない、しかも汚い顔の暗いやつに紛れ込まれたくなかったのだろう。
私はそんな迷惑なんてかけないつもりだし、押し黙って自分の存在をほとんど無に近い形で消すことだってできるのに。彼女たちからは、極力一緒にいてほしくない気持ちがひしひしと伝わってきた。
私は体調不良を理由に修学旅行を休んだ。

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顔中に赤いぶつぶつのある、パンパンの顔。思春期真っ只中ということもあり、こんな顔を人前に晒せるはずもなかった。
そんな時に、母がフェイスパウダーを買ってくれた。試してみると、赤みを消すような少し青みがかった粉で、顔につけると少し見た目のおぞましさがやわらぐ気がした。
それをしっかりとはたき、眉を描いてマスカラをし、リップを塗って学校に行った。
さすがにマスカラは生活指導の教員から叱責されたものの、それ以外は意外とバレることがなかった。私はその化粧を毎日続けることにした。
もしかしたら、病気のことを知っていた教員たちが、さすがに配慮して口を出さないでいてくれたのかもしれない。
素顔で登校しなければならないというのは私にはあり得ないことであり、化粧ができるかは死活問題であった。

肌がカバーされたことで少しずつ気持ちが楽になり、そのうちダイエットの甲斐もあってか元の体重に戻すことができた。運動も少しずつできるようになった。友達もできてお弁当を教室で食べることができるようにもなった。そんなちょっとしたことが、私にはとても嬉しかった。
今はもはや、肌荒れで悩んでいた頃の自分など思い出せないくらいだ。

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大人になってから、出張で広島に行くことがあった。海と町並みがきれいで人の温かい、明るい町だ。
修学旅行で肩身の狭い思いをしてまで行かなくてよかったとさえ感じるくらい、その町を好きになってしまった。
今はもう、下地だけの化粧でも人目が気にならなくなった。さっぱりとした肌に、広島の日の光はとても気持ちがよかった。