「未来の私は、どんな大人になっているだろう」
年齢的にはもう「大人」のカテゴリに属する私だが、割と頻繁にそんなことを考える。それと同時に思うのは、これまで自分が歩んできた軌跡。

沢山の困難があった。小中学校の時にはいじめや、教師からの理不尽な体罰に遭い、学校に行きたくないと何度も泣き叫んだ。それでも母に連れられ登校し続けたのは、まだ未来に希望を持っていたから。アナウンサーになるという夢に向かうには、いじめや体罰に負けて不登校になるのは許されない気がしていたから。
その夢が私を支え、周りのサポートもありどうにか卒業した中学校。
そして入学した第1志望だった高校。大丈夫、きっと、うまくいく。そう思っていたのは最初の1ヶ月だけだった。

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私が通っていた高校には、全員参加の早朝自習や補習が行われていた。起立性調節障害を患っている私にとってそれに間に合うよう起きて、学校に通うのは不可能だった。その遅れを取り戻そうと比較的動ける夜に自主学習をしても、習ってもいない内容を自力で習得するのは難易度が高かった。
下がる成績、失われる教師からの信用、周囲の生徒の「サボりだ」という冷たい視線。小中学校のような明確ないじめや体罰こそなかったもののそれらの圧力に耐えきれず、入学して1ヶ月で私は自力で登校ができなくなった。
担任教師から毎日電話がかかってきて、母に引きずられるようにして車に乗せられ、とっくに授業が始まっている時間に学校まで連れて行かれ、教室に入ることはできず下駄箱で過呼吸を起こし保健室で休み、まともに授業を受けられるのは2時間目以降だった。

それでもなんとか3年間で卒業できたのは、担任教師からの声かけでどうにか欠席になることは少なかったこと、所属していた放送部の活動でアナウンサーになる夢にむかって頑張るという目的があったことが理由だろう。
そして何より、毎年留年の危機になりつつも、担任が最後まで他の先生方に掛け合い進級させてもらえていた、ということは卒業してから知った。

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そして第二志望だった大学に進んで、寮生活が始まってから。一瞬で生活は破綻した。
食べても吐き戻してしまう食事、相変わらず起きられない朝。そして高校までは家族や教師のサポートがあったが、実家から遠く離れた大学では自己責任のもと誰も助けてはくれなかった。
高校のときと同じような冷たい視線に耐えきれず最初の1週間で学校に通えなくなり、かといって寮にいると同じ学科の生徒からの冷たい視線を浴びる。結果私は寮に帰らなくなり、別学科の友人の家に入り浸るようになった。
当然取れない単位。親にもその現状はバレていて、1年が終わるタイミングで休学した後、退学した。
そして、アナウンサーという夢も学歴の壁に阻まれ、捨てることしかできなかった。
完全に心が折れた私は、自暴自棄になり、自身の発達障害や起立性調節障害とも向き合うことができず、親にも姉弟にも心配と迷惑をかけ続けた。

やっと病院に行き障害認定を受けて、何より最初に持った感情は安堵だった。
だが、病院に通い障害者であることを受け入れても、すぐには生活は変えられない。その後もアルバイトを転々とし、まともに働くことができず「どうせ私みたいな頭のおかしい障害者、生きてたってどうにもならない」と生きることから逃げ、自身を傷つけることでしか心の平安を保てなかった時期もあった。

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それでも自分で就労支援の施設を探し出し、そのサポートを受けながら社会に出られる方法を模索し、泣こうが喚こうが完全に諦めて引きこもることを良しとせず、周りに支えられながら自力で生きていくための力を培おうとし続けた。
それが現在の障害者枠での就労につながり、まだまだ落ち込むことはあれど比較的安定した気持ちで過ごせるようになり、周囲を見られるようになり、差し伸べられる救いの手を迷わず取れるようになった今の自分に繋がったのだと思う。

だが、それでも私はまだ私を赦せていない。散々周囲に迷惑をかけ、自分自身を傷つけることで周りのことも傷つけていた自分自身を赦せない。
どれだけ努力しても、生活や気持ちが安定しても、周りの支えがないと生きていけない自分を赦せる日はきっとまだまだ来ないのだろう。

だけど、思うのだ。これまでも自暴自棄になったけれど、周りからのサポートも今までもこれからも必要だろうけど、ここまで歩いてきた軌跡が途切れることなく続いてこられたのは、間違いなく私があがいて、もがいて、泣き喚き、時には足を止め後退することもあったけれど前に進もうと戦い続けたからだろうと。

まだ心のどこかに自分を赦せない自分がいるけれど、これからももがきながら少しずつ前に進む中で、最期に目を閉じる瞬間にでもいい。その戦った日々を「ああ、自分よく頑張ったなあ」と思える日が来ればいいと思う。しわしわのおばあちゃんになったときに、頑張っていた過去の自分を「もう大丈夫」と赦せる、そんな自分にいつかはなりたいと、そう思うのだ。
その道を進んでいくために、惜しまず自分にできる努力をしていきたいと思う。