私は自分のことを「宇宙人」だと思っている。
おそらく私の話は、この星の人間に届いていない。つまり私は、自分のことをふつうではないと思っている。

幼い日の私が気晴らしに熱中したのが、空想だ

幼い日の私は、おしゃべりで感情豊かで、日々なにかしらに不満をもっている子どもだった。
今思えば、人ごみや大きな音がいやだ。いじわるなクラスメイトが、なぜいじわるなのかわからないなど、言語化しようと思えばできるものだ。
けれど自分がなにに不満をもっているのかわからず、怒るか泣くことしかできなかった。

そんな私が気晴らしに熱中したのが、空想だ。空想の世界なら、私はアニメに出てくるような魔法少女にも、絶世の美少女にも変身できる。
怒っても泣いてもなにも解決しないと知り、空想に逃げた私は、周囲から心配されるレベルでおとなしい子になった。

学校に行けなくなった私が見つけた自分を表現する方法

中学も人数は少なく、息苦しさは変わらない。そんななか起立性調節障害を患い、学校に行けなくなった。
同級生から「なんでそんなに休むの?」と言われ、先生さえも「本当は悩みがあって、学校に来られないんじゃないの?」などと言う始末。

このあたりは、私とは違う星なんだ。対話はあきらめよう。
私はますます、自分の殻に閉じこもった。

殻にこもっているなかで、自分を表現する方法が見つかった。
それが、文章を書くこと。
自分の内側にあった空想や考えが、ひとつの形になる。言葉で表現しきれなかった思いを、他の人に届けられる。
高校では文学部に入り、大学も文章の書き方が学べる学校に進んだ。

しかし文章にしても、「伝わらない」問題が浮上してきた。

今より広い世界に行けば、きっと私と同じ星の人がいると思っていた

田舎の私が感じていたきゅうくつさは、都会の人間には無縁である。
「学年で9人しか女子がいないのに、7人と気があわない」という感覚が伝わらない。
みんな友だちに不自由なく、健康に学校へ通ってきたらしい。

窮屈なのは、田舎の小さい小中学校にいるから。今より広い世界に行けば、きっと私と同じ星の人がいると思っていた。けれど自分の育った環境が邪魔をする。

こうして私は、自分の生まれ育った星も、違う星で育った人たちも妬むようになった。また殻に閉じこもったのだ。

HSPのチェックリストは、すべて私に当てはまる

社会人1年目のある日、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という、人いちばい繊細な特性のことを知った。27項目のチェックリストは、すべて私に当てはまる。

HSPについてブログに書き、「これが私のふつうなんだ」と伝えようとしたら、「力になれることがあれば言ってね」「気を使いすぎないで」と心配されてしまった。
親しい友人も、理解してくれない。特性を知ることで、カミングアウトをすることで、生きづらさって解消されるんじゃないのか。

考えているうちにしんどくなって、メンタル系の病院に行ったら、ASD(自閉スペクトラム症)のグレーゾーンが見つかった。「そっちだったか」とも、「まぁそうなるよな」とも思った。

どれほど育った環境や、他人を妬んでも仕方がない。
私が、宇宙人だっただけなのだから。

分析しても、他人から見たら、すべて、私

刺激に敏感で、人に気を使いすぎてしまうところはHSP。
こだわりが強くて、コミュニケーションが苦手なところは、ASD。
けれど分析しても、他人から見たら、すべて、私。

悩んでいるうちに、せっかく見つけた特性を材料に、ふたたび殻に閉じこもろうとする自分に気がついた。最初は「またそんなことしているの?」と自分が嫌になったが、「それも私だもんなぁ」と思っている。

周囲が「ふつう」だと思っていたから、宇宙人の私はしんどかった。
宇宙人の私には、酸素カプセルのように居心地のよいシェルターをつくってあげなければ。
私が居心地のよい場所を、私自身が「ふつう」である場所をつくらなければ、しんどいままだ。

HSPだけでも、ASDでも説明できない、私は私。

私は発達障害やHSPを、個性や魅力と言いたくない。他の人との「当たり前」が違うだけで、特別扱いはしたくないから。
私は自分のことを、好きになろうと思わない。「好き」の反対は「無関心」、けれど「嫌い」の反対も「無関心」で、ありのままの自分を「まぁいいんじゃない」と言えるくらいがちょうどいいと思うから。

みんなの星では、「宇宙人」。だけど私の星では、「ふつうの人」。
他の人には伝わらなくても、私はあきらめずに発信していく。