私の好きなこと。それは料理とお菓子作りである。だから一年の中でも特にバレンタインは私にとって最も重要なイベントの一つだ。
なんといってもバレンタインは一年で一度、パティシエのようにお菓子を大量に作って、それを親しい人たちに食べてもらえる。しかも、バレンタインが近くなると、普段は売っていないような材料や凝ったラッピングが売っていたりする。

受験生だった高校3年生を除いて、お正月ごろから私はバレンタインに何を作り、どうラッピングするかで頭をいっぱいにしていた。

受験も終わり、バレンタインに集中できるようになった大学1年の今年のバレンタイン。しかし私の頭にバレンタインの意識は薄かった。1月は後期試験とその後の春休みをいかに有意義に過ごすかばかりを考えていた。
試験が終わり、この機会にとインターンを始めると、今度は慣れない仕事をどうこなしていくか、どう成果を出すかで一杯一杯だった。

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そんな中、出張の機会に合羽橋に行った。インターンのことで頭がいっぱいでも、そこが私にとっての楽園であることに変わりはなかった。
そこにいる間は、お菓子作りのことだけを考えていた。バレンタインの材料や道具を吟味しながら、今までのように幸せに悩んでいた。
でも翌日になり、出張の荷物を全て片付けてしまうと、私の頭はまたインターンや勉強、家事のことでいっぱいになった。

2月12日。
バレンタイン2日前。私のスマホのアルバムが3年前の思い出を映し出した。私が高校1年生の時に作ったお菓子達。クラス全員分をと大量に作った。その写真は仕込み1日目の写真だった。
ああ、3年前の私はこんなに張り切って凝ったお菓子を大量に作っていたんだった。このときのためにお小遣いを貯めて、使いたい材料が買えるようにしていたんだ。

今の私は。バイトをして、一人暮らしを始めて、時間もお金もキッチンも、随分自由に使えるようになった。なのに私の頭に私の好きなことはない。子どもの頃に戻りたい、あの頃はキラキラしていた。そういう人が多いけれど、私もこういう時にそれを言えばいいのだろうか。少し、寂しいような気がした。

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でも、まあそれもいいかとも思う。別にお菓子作りが嫌いになったわけではない。私の中の大切なものが減ったわけではない。お菓子作りに加えて、インターンや勉強など新たに大切にしたいこと、夢中でいたいことが増えただけ。
だって楽園は健在だったのだから。私はあの時から変わっていない。それにもしこれから先、好きなことが変わったとしても、私が何か夢中になれることを持っている限り、大切なことを持っているという点では私は変わらない。
大事にしたいことがなくなった時、私は自分を寂しく悲しい人だと思おう。そしてまた大切にしたいことを探そう。今はそうならないように一生懸命であろう。

だから、「好きだけど」は悪い言葉じゃない。むしろ1つに決めきれないくらい、大切なことが増えた証拠だ。そう2月13日の私は考え、溶かしたチョコレートの香りに包まれている。