あーちゃんという友達がいる。
あーちゃんとわたしは、「別室登校」仲間だった。
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お互い中学校にあがったばかりの頃。
ほとんど同じ時期に教室に入ることがしんどくなった。
わたしは、友達ができなかったことが理由だった。と思う。
あーちゃんがどうしてしんどさを覚えたのかは、よく知らない。
なんなら、しんどかったのかどうかすら、わからない。
いつからか、わたしたちは図書室で「おはよう」「また明日」という挨拶を交わすようになり、一日の大半をいっしょに過ごすようになった。
あーちゃんとはクラスが違ったのできっと教室からはみ出なければ巡り合うことはきっとなかったんじゃないかと思う。
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わたしは、教室に入れず図書室にいるということに、ものすごく罪悪感と劣等感を抱いていた。「自分はなんてダメな人間なんだろう」、「いつかは教室に戻らなくては」という気持ちでいっぱいだった。
教室に行くのももちろん嫌だったし、図書室に居るのもそれはそれで落ち着かず、未来に希望が持てない最低な毎日だった。
めちゃくちゃ勉強はしていたけど、それも「せめて勉強くらいはやらないと……」という焦りがあってのことだった。
そんな余裕のないわたしの横にいたのが、あーちゃんだった。
あーちゃんは、いつも何かに夢中になっていた。
あるときは文房具研究、あるときは作詞作曲、あるときは韓国語。
夢中になっていることについて熱く語ることもなく、その世界に静かに没頭していた。
わたしもいつも没頭しているあーちゃんをながめていた。
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あーちゃんは、基本的には図書室にいたけれど、ときどきフラリと教室に行った。
そしてフラリと図書室に戻ってきた。
「教室どうだった?」
「普通でした」
「いま行けたんだし、次の時間も行ったら?」
「それとこれとは別です」
あーちゃんの担任の先生とあーちゃんは、よくこんな会話をしていた。
担任の先生は(なんならわたしも)、「普通に教室行けるならずっと居れば良いのでは?」と思っていたはずだけれど、どうやらそうではないらしい。
わたしには「それとこれとは別です」と言えるあーちゃんがすごくかっこよく見えた。
夢中になれるものがたくさんあることが、すごくうらやましかった。
きっとあーちゃんにとっては、教室に行くか行かないかはそこまで大きな問題ではなくて、自分の世界をいかに大事にするかが重要だったんだと思う。
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なんだかんだで、別室登校とか不登校とかは問題視されるし、先生たちはいかに教室や学校に子どもを戻すかという方向で考える。
そういう圧力がある中で「それとこれとは別です」と言い放ち、自分の世界をとことん大事にするというのがいかに難しいか。
あーちゃんが「それとこれとは別です」と口にするのを何度も聞いたが、そのたびに私は心の中で大きな拍手を送っていた。
「教室に入らないヤツはダメだ」なんて、誰にも言われたことがないのにそう思い込んで落ち込むわたし。
社会が良しとすることと、自分が大事にしたいこと。
「それとこれとは別です」と思えるようになったのは、成人してからだと思う。
わたしが中学生のときに心の中であーちゃんに送り続けた拍手は、いまもきっと心の奥底で鳴り続けていると思う。
あーちゃんとはいまも良い友達である。
彼女は変わらず「それとこれとは別です」を大切にして彼女らしい人生を歩んでいる。