あの頃の私は得体の知れない何かに悩んでいた。学校生活は順調だし、部活動も精一杯やっていた。クラスでは副委員長をしていたし、友人も多く、仲良しグループは男女混合の10人ほどの大所帯。学年の中でもいわゆる陽キャ組に属していたのだが、私は一時期不登校気味だった。

別にいじめられていたわけではない。ハブられていたわけでもない。みんなのことが好きだったし、みんなも私を好いていてくれたと思う。でも何故だかみんなと居るのがしんどいと思う時があった。きっと今ならサラッとその場を離れ、フラッと戻ることもできるはずだ。しかし高校生の私にはそれがとても難しかった。

みんなには「ちょっと次の授業だるいから保健室で寝てくるわ」なんて言って不良ぶって教室を後にするが、実際は仮病を使う度胸なんてなくて、一人図書室に忍び込んでいた。

週3ペースで忍び込んでいたある日、ついに司書さんに見つかった。正確には初日から見つかっていたらしい。しかし司書さんは「ほどほどにしなさいね」とだけ言い、私に飴を渡して奥の部屋へと戻っていった。それからというもの司書さんは私に何も聞かず、行く度に飴を渡してくれるようになった。

私と司書さん以外いない、本のどこか古びたような匂いに包まれた図書室、ここが私の楽園だった。
みんなが授業を受けている最中に私は楽園で大好きな本を読めるのだ。居心地が良すぎて一生教室なんかに戻らなくて良いと思った。

◎          ◎

そんなある日、司書さんは一冊の本を私に渡してきた。それは『カフェ・デ・キリコ』という本だった。「これ読んでみて。児童書なんだけどなんかすごくホッとするよ。今のあなたに読んで欲しいの」と手渡された。ほぼ毎日忍び込んでいたのに、司書さんから本を勧められたのは初めてだった。部活動を終え自宅に帰り、早速読んでみた。

『カフェ・デ・キリコ』は、イタリア人の父親の死をきっかけに、イタリアの生家に引っ越した母娘の話。そしてその家でカフェを開くことになった。
イタリアの雰囲気と異国感が味わえる文章、そして何よりも主人公のキリコの成長がすごい。異国に来て、慣れない暮らしをしながら、何も分からないのにカフェの経営を始めるのだ。そしてなんとキリコはまだ中学生。そこが驚きだった。

読後、色々考えてみた。私はなぜ教室に戻りたくないのか。進路に悩んでいるのか。しかしこの本を読んでも何も分からなかった。
ただなんだか温かい、前向きな気持ちになったのは事実だった。

私は何に悩んでいるのか理由は分からなくても、今やれることをやれば良いのではないか。教室に戻りたくない、でも戻らなくてはいけない、そんな悩みはひとまずどこかに置いておこうと思えた。
もしかしたら司書さんは深く考えずに渡してくれたのかもしれない。しかしこの本は間違いなく私の背中を押した一冊になった。

次の日、返却の際、司書さんに貸してくれた理由を聞いてみた。「んー、児童書だから高校生はあまり手に取らないけれど、面白いんだよって伝えたかったからかな」と言った。「あ、それと、あなたなんかすごく生きにくそうだったから、世界は広いよって伝えたかったの」

それを聞いて不意に涙が出てきた。私は何も言っていないのに、私のモヤモヤを理解してくれていて、少しでも心を軽くしようとしてくれた司書さん。この司書さんがいたから、私は心置きなく楽園で療養できていたのだ。

それから数日後、私は今までのように毎時間教室にいることができるようになった。そのまま日に日に図書室に行く頻度は減っていき、私は無事高校を卒業した。

◎          ◎

あの時にそっと見守り、支えてくれた司書さんがいたから、私は悩みから解放されたし、新しいジャンルの本たちとも出会うことが出来た。
あの時もっと司書さんと話をしていれば良かった。たくさんのことを聞いて勉強しておけば良かった。たくさん感謝を伝えていれば良かった。

時間は戻らないから、ここに私の気持ちを書きます。
悩んでいた高校生の私にあの本を勧めてくれて、見守っていてくれてありがとうございました。
巡り巡ってこのエッセイが司書さんの元に届きますように。