これは、今から遡ること15年程前の話だ。小学1年生になった時、私は突然学校に行けなくなった。理由は、学校に行くと何だか不安な気持ちになるからである。
学校の目の前まで行っても足が動かなくなってしまう。今考えるとよくわからない理由であるが、当時の私にとってそれは学校に行けなくなる理由として十分すぎるくらいに、苦しいことだったのだ。
学校に行けなくなった私は、何日か学校を休んだ後に保健室登校を始めた。保健室なら友達も怖い先生もいないし、なんだか安心するからである。この安心する理由は保健室の先生にあった。

元看護師の保健室の先生。フワフワとした保健室の温かさを覚えている

当時の保健室の先生は明るい性格で包容力がある、笑顔が優しいおばさんだった。後から聞いた話だが、先生は元看護師だったという。確かに、記憶を辿ると看護師さんのようにしっかりした人だったかもしれない。
私が毎朝保健室に登校すると、先生は「おはよう」と言ってくれて、教室に行けなくても保健室にいさせてくれた。
先生とは色々な話をした気がするけど、昔のことだからもう何も思い出せない。
けれど、1つだけ覚えていることがある。保健室の扉を開けた先にある、フワフワとした温かさだ。これは先生が放っていたのだと思う。いや、身に纏っていたのかもしれない。
どちらにせよ、私の得体の知れない不安な気持ちは、保健室にあるこのフワフワとした温かさに触れたその瞬間に安らぐのだった。

保健室は憩いの場。先生は誰に対しても分け隔てなく優しかった

私が通う小学校の保健室には、様々な子どもがいた。体調不良の子、仮病を使って授業をサボりに来た子、先生とお話ししに来た子。また、私と同じように教室に行けない子も何人かいたような気がする。
大袈裟かもしれないが、当時の保健室は今でいうディズニーランドのような存在であった。
学校の中にある束の間の非日常だったのだ。授業が終わり休み時間になると、保健室は非日常を求める生徒で賑わい、授業開始のチャイムが鳴る少し前にみんなは日常である教室へと向かう。
そんな空間が保健室で生み出されていたのも、全部先生がいたからだった。先生は誰にでも分け隔てなく接してくれて、優しかった。みんな先生のことが好きだったし、私たち小さな小学生にとって保健室は憩いの場だったのだ。

「いつか先生みたいになりたい」。15年経った今でも憧れ

私は15年経った今でも、先生に感謝をしている。
先生が、無理やり教室に連れていこうとせずに私のくだらない話を聞いてくれたから。不安で仕方なかった学校を安心できる場所に変えてくれたから。だから最後は自分から「みんなと一緒に給食食べてくる」って言えたのだと思う。
学年が少し上がった頃、先生は学校からいなくなっていた。私はいつから保健室へ行かなくなったのか、いつから友達と一緒に登下校することが出来るようになったのか、先生にちゃんと「ありがとうございました」って言えたのかどうかも覚えてない。

でも、保健室のあの温かい空間だけはずっと覚えている。先生には小学生以来、もうずっと会っていない。けれど、高校生になって全く考えていなかった進路を決める時に真っ先に思い浮かんだのは、先生のことだった。
いつか先生みたいになりたい、と無意識にそう思っていた。優しくて温かい、みんなが大好きな先生に、私はずっと憧れていたのだ。

あのとき見守ってくれたから。先生がいなければ、今の私はいない。

先生、お元気ですか。その節は大変にお世話になりました。
先生が今の私を見たら驚くと思います。当時は学校を休んでは泣いてばかりいたけれど、あれ以来、学校が楽しくて仕方なくて、高校を卒業するまで学校を1回も休まない女の子に逞しく育ちました。
先生が見守ってくれていたから、私は学校に行けるようになりました。先生がいなかったら今の私はいません。今、私は看護師を目指して勉強に励んでいます。
将来は、先生みたいな人になりたいです。先生はずっと私の憧れの人です。いつかまた、直接お礼を言わせてください。
その時には昔のように、私のくだらない話を聞いて欲しいです。また会える日まで、どうかお元気で。