いつもこんな生活をしながら心に唱えるのは、「普通の生活が出来ますように」。
いつかは、いつかは、「普通の生活が出来ますように」。
そう、心の中で思う。
そんな普通の生活の土台を30歳には作り上げて、35歳には完成させたい。
あくまで心の中で立てた計画だけれど。

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と、ここで私が思う普通の生活というものをあげてみる。
①1日2食か3食食べる、②お金を必要な分使う、③体調の悪い時は休む、④夜に寝て朝に起きる、⑤毎日好きな人と連絡(出来れば結婚もしたい)の5つだ。

まず、①の「1日2食か3食食べる」の話。
嫌と言うほど食事が出来ないという話はここで書いたので簡単に説明するが、現時点で食事に関わるもの全てがストレスで、特に誰かと食べる食事は数日前からカウントダウンして備えるほど。
お腹が空いたら何かを食べて、ストレスを感じることなく友人達と食事がしたい。
みんなが美味しそう〜という料理のパンフレットを見て、私も同じように美味しそうだと思いたいし、そもそもお腹が空いたとかお腹がいっぱいだとかを感じない身体なので、テレビで見るように、「ふ〜お腹いっぱい、幸せ〜と言いながら横になりたい」。

②の「お金を必要な分使う」については、現時点でお金がない。お金がないどころか借金すらある。
そんな状況で貯金なんて出来る訳もなく、
「今月出費やばい!貯金崩さなきゃ!」
と、喚く友人の話に対して羨ましさいっぱいにリアクションを取る。
正直な所、崩せる貯金があるだけ羨ましい。
友人のお祝い事が続こうもんなら世界の終わりぐらい落ち込むし(もちろん嬉しいのだけど)、帰省の移動手段はもっぱら1番安い4列シートのバス。
髪色鮮やかな若い子達に囲まれて眠るバスの中で、いつかは新幹線で移動してやるんだと毎回心に誓うし、ネットカフェの固い椅子の上で、ホテルのベッドで眠れますようにと願う。

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③の「体調の悪い時は休む」については、そんなこんなでお金がない私には休みなんてものはない。
というよりも精神的に滅入った日は引きこもっているけれど、それ以外の日はひたすら働き詰めだ。
ワクチンを前日に打って腕が上がらなくったって、安定剤を飲んでまっすぐ歩けなくったって、生理でお腹が痛くたってとりあえず仕事へ向かう。
頭が痛かろうが風邪っぴきで体がだるかろうが、いかねばならないのである。
その1日が命取りになるから。
あまりにも副作用が辛すぎて、せめてワクチンの日だけでも休もうと思ったけれど、現実的にそんなことを言っている場合ではない。
これまたワクチンの副作用で苦しくて家で寝ていたという友人の話を、「大変だったね〜」と言いながら、心の中で休めていいなあとため息をつくのである。

④の「夜に寝て朝に起きる」について。そんなこんなで心が弱い私は、逆に心が持つ限りは働き続ける。
朝6時に仕事をスタートし、昼過ぎに仮眠を2時間ほど取り、細切れに寝ながら次の仕事を遅い時には朝の5時までこなす。
そして身だしなみを整えてまた朝の仕事に向かう。
「働き者だね」「もう少し休んだら?」
正直そんな言葉は何にも響かない。

優しい言葉をかけてもらったところで、この現実が変わるわけではないし、逆にみんなが普通にしている生活が出来ない自分に惨めな気分になる。
遅刻をしないよう椅子の上や外で仮眠をとり、あれ?いつから布団で寝てないっけ?と思う時は流石に人間としてやばいと思う。
なんというかいい言葉が見つからないのだけど、"やばい"。この一言に尽きる。
そして久しぶりに布団の上に横たわれる日は、これほどになく幸せを感じる。
床が柔らかい、それ以上に柔らかい掛け布団に包まれる時間はなんとも幸せだ。

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⑤の「毎日好きな人と連絡(出来れば結婚もしたい)」については、こんな生活でまともに恋愛なんてできる余裕もなく、仮に好きな人が出来ても、デートに行ったとしてもそれ以上は続かない。
借金持ちの女を誰が好むというのだろうか。
まともな生活をしていない人間と誰が仲良くしようと思うのだろうか。
そうなるのであれば、そもそもデートの時間がもったいないし、その時間に働くなり休むなりしたいというのが正直なところ。
けれど時折、「旦那が〜」「子どもが〜」と、当たり前の幸せをきちんと積み重ねる友人達が羨ましくて仕方がない。
働くことから解放されたら。
体が元に戻ったら、出来た時間を使って誰かと遊んだり、毎日こんなことがあったよ!と、連絡したいけれど、現時点では〇〇(仕事場)行ってきますのオンパレードになりそうだ。

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……と、恐らく普通からかけ離れた生活をしているし、少なくとも自分が思い描いていた30歳の普通とはかけ離れた生活をしている。
普通の生活って普通に生きていてたら手に入るものだと思っていたけれど、そもそも普通に生きるということ自体が難しい。
けれど、それを見事にやってのけ、普通の生活をしている皆に対して、「いいなあ」と、こぼしても、「どこがいいんだよこんな普通の生活」と、返されるけれど、私はそんな普通の生活が羨ましくて羨ましくて仕方がないし、そんな普通の生活に辿り着いた時、存分に幸せを感じることができる自信がある。
だから皆がしている普通の生活がどれだけありがたいか伝えたいし、私はそんな普通の生活を、「こんなの普通だよ〜」と、言える日が来るよう進んでいきたい。