「放射線技師やめようと思ってるんだ〜」
「へえ、じゃあ次は何するの?」
「バリスタをやってみたいんだよね」
「全くの異業種に変えるつもりなんだ」
「収入は下がるけど、自分のしたいことをやってみたいんだ。人生一度きりだし」
そう言うと彼女は少し楽しそうに私に微笑んだ。
普通そんなことはあり得ない。
友人の言葉を冗談半分に聞き流した。
数ヶ月後、SNSにバリスタとして働く彼女の写真が掲載されていた。
あの時と同じ、いや、それよりもっと輝いた彼女がそこにはあった。
綺麗だった。
◎ ◎
安定、それは自然界に存在する全ての物質が求める無意識の状態である。
様々な物理法則でさえも安定という状態を求め、保つが故に起きている。
であれば、人間という地球で生きるだけの一種の生命体がそれを求め、それに抗うのがどれだけ過酷なことかは容易に想像がつく。
安定した給料、安定した地位、安定した人生。
世の理として正義とされてきたのは、いつだって安定だったのではないだろうか。
だがしかし、人間というのは欲張りで、安定と同時に刺激もまた欲しているものだ。
いつの世も社会の変革を求め戦い、次の時代がやってきたように
宇宙全てが求める安定に立ち向かう事こそ、人間唯一の特徴なのかもしれない。
だが、先ほども述べたように、安定に抗うのは容易ではない。
そこには計り知れないほどのエネルギーが必要であるということ。
「最近どう?」
「社会の波に揉まれながらなんとかやってるよ」
私の歳というのはつくづく同じことを考えるのかもしれない。
別の友人からも唐突にこんなメッセージが届いた。
他愛のない話を進めていくうちに、彼の今の悩みが明らかにされていった。
「何かあったわけではないけどさ、これでよかったっけ?って最近思うんだよね」
「待って、それすごく分かるかも」
それはこの冬、私が抱いていた違和感そのものだった。
「なんかさ、現状への惰性をすごく感じるから何かを変えたいと思うんだけど。だからと言って、大きな変革を打ち出せるほどの熱量があるわけではないんだよね」
「やってみたい!と思える何かがあれば今を捨てられるんだろうけど、現状の自分に満足していないから今を捨てる、ということは出来ないよね」
違和感を言語化したのは初めてだったが、友人もその言葉がしっくりきたようで、今に対する漠然とした違和感と変革への熱量不足に対する議論を熱く交わしたことを覚えている。
◎ ◎
おそらく私の中の違和感のトリガーは、バリスタになった彼女だろう。
現状の違和感を打破するだけの勇気を持っていること。
そしてそうさせるほど入れ込む何かを持っていること。
自分の心の赴くままに行動する彼女。
一方で、高くはなくとも安定して給料をもらうことができる現状。
業務の目新しさはなくとも、それなりに人々に評価してもらえる日々。
日常に飽きつつ、安定を手放せず燻っている自分。
何もかもが違い、その全てが輝いて見える。
私は彼女が羨ましいのだ。
結局のところ、私は彼女の綺麗な部分しか見ていないのかもしれない。
もしかすると彼女も知らぬところで苦労をしているのかもしれない。
私たちが見るのは、いつだってショーに立つその人の姿であり、楽屋での姿など、そう見る機会はないのだ。
だから羨望する。
あの舞台に立ちたいと心を躍らせる。
裏側の世界に蓋をする。
けれど人生はそううまくはいかない。
綺麗なところも汚いところも全て背負って生きなければならない。
だから簡単に踏み出せないし、踏み出した人間を私たちは羨むのだ。
◎ ◎
今の仕事に大きな不満があるかと言われればない。
ただ、このままでいいのかと言われ、素直に頷くこともできない。
「人生一度きりだし」
その言葉は頭にこびりついて離れない。
だからいつかは、行動するのだろう。
そのいつかが訪れるのを待つのではなく、自分で探しにいくことにしよう。
もしかすると、明日が私の変革の日になるかもしれないのだから。