当時女子高生の私にとって、バレンタインは好きな人にチョコを献上する日ではなかった。友人同士でチョコレートを交換する日である。

小学生中学生までは、市販の板チョコを購入し、湯銭で溶かして固めるというずさんな調理過程で済ませていたチョコ作りであるが、高校生ともなるとそれは許されない。
シフォンケーキやブラウニーなど、それなりに凝ったものが求められるのだ。
色恋に興味のない我々友人グループは、バレンタイン前になるとどんなチョコが欲しいか、女子たちにアンケートを取った。生チョコなど定番を求める声もあったが、材料費のかかるガトーショコラを求めるふざけた輩もいた。

あっと驚く一品を作るため、要望をガン無視して深夜2時に作業開始

早速家に帰ってチョコ作りが始まる。私は誰も想像しないようなあっと驚く一品を作ろうと決めていた。アンケートをガン無視することにした。
悩んだ末、ドーナツを揚げることになった。ドーナツが嫌いな女子高生はまずいないだろう。諸々の用事を済ませると、深夜2時から作業を開始した。作業開始時間が随分遅いが、女子高生には部活や妄想やバレンタインに恋人がいないことを嘆く時間などが必要だ。つまり忙しいのである。

用意したものは、着色料と小麦粉と砂糖と油とチョコ。お菓子作りには定番の材料だ。
真夜中に目を血走らせ、材料をこねまくった。
出来上がった生地を丁寧に油で揚げていく。火傷や粉が目に入るなどの事件を経て、ようやく完成したそれは、毒々しい色をしていた。着色料を使ったせいで、ドーナツが南国の鳥と同じ色をしている。
深夜で頭が回っていなかった私は、それらを見て喜んだ。ラッピングが近所のスーパーになかったので、代理の紙袋に入れた。

数時間の睡眠をとって、学校へその鳥どもを持って行った。みんな喜ぶと思っていたのだ。
特大ポリ袋を担いで、サンタのように登場した。あまりにも絵面が間抜けだが、私は心から楽しんでいた。

悲鳴を上げながら逃げ回る女子高生の集団と、不気味なサンタの私

しかし友人たちの反応は予想とは違うものだった。
油がちゃんと切られていないそれが、べちゃべちゃと紙袋を汚している。毒々しい青やピンクのドーナツは、食欲を削ぐには十分だった。私はそれに気づかず、拒否する彼女たちを追い掛け回し、ドーナツを押し付けた。
ポリ袋を担いで女子高生を追い掛け回す火傷跡だらけの私。どんなホラーシチュエーションだろうか。
悲鳴を上げながら逃げ回る女子高生の集団と、不気味なサンタの私。そんなものが校内に現れれば、当然人目を引く。この騒動は直ぐに先生の目に留まった。

うちの学校はお菓子の持ち込みには厳しく、バレンタインのこの日は特に教師陣は目を光らせていた。ポリ袋を担いでひと際目立っていた私は、先生に即捕まえられた。

「何だ、これは」と言われて、私はムッとした。
「ドーナツです」と言うと、先生はけしからんと呟きながら、ポリ袋をひっくり返す。そこからカラフルな絵の具のようなドーナツが姿を現した。
先生は息を飲んだ。次の瞬間、「これはドーナツじゃないぞ」と斜め上から説教をし始めた。そして「これを人に食べさせるつもりだったのか。みんな逃げるだろう!」と突然笑いだした。
全くふざけた教員がいたものだ。成績が悪いのを怒られるのはいい。しかし料理にまで口を出すとは。

「そんなに言うなら食べてくれ」と言って私は先生にドーナツを渡した。先生はお菓子の持ち込みのことなどどうでもよくなっていたようだ。
渋々それを食べて、見事にむせた。物陰から心配そうにこちらを見ていた同級生たちがみんな笑いだす。

涙目で「美味しい」と言う先生に、とんでもないものを錬成したと悟る

彼らはさっき必死に逃げてよかったと安堵しているに違いない。先生の苦しみ方が凄かったので、私はやっと自分がとんでもないものを錬成してしまったことに気付いた。
先生が涙目で「美味しい」と言った時には、全てを悟った。

私も一口ドーナツを食べて、吐きだしそうになった。これを製作している時、味見をしておけばよかった。
よく見ると生焼けの生地と焦げた生地のコントラストが美しい。どういうわけか粉っぽかった。作っている時は気にならなかったのに。芸術点が高いドーナツなのは確かだ。粉も油も無駄にしてしまった。どうしてこんなことになってしまったのか。
私がこの着色料ドーナツたちの廃棄処分を決めたのは言うまでもない。

残酷な事実に肩を震わせていると、友人たちが駆け寄ってきて、「口直し」と言って持って来たお菓子をくれた。友人がくれた生チョコもクッキーもみんな美味しかった。
そんなに私を慰めたいなら、持って来たドーナツを食ってくれと思ったが、いくら友達でもそれは出来なかったらしい。
先生は説教もせず、着色料を摂取した後は直ぐにいなくなった。彼もイベント時にお菓子の没収はやりすぎだと思ったのだろうか。それとも私の火傷を見て哀れに思ったのかはわからない。

その後、ポリ袋を担いで帰宅した。悲しみにくれる私を「馬鹿だね~」と母は爆笑し、折角作ったのだからと、祖母が仏壇にドーナツを供えた。
何もかも狂っている。故人も亡くなってからこんなふざけたドーナツを供えられるなんて思っていなかっただろう。

あれから数年、お菓子作りが上達しても、ドーナツに手を出せない

あれから数年以上経つ。ドーナツ事件で深く心を痛めた私は、もう決してドーナツを自作しないと心に決めていた。お菓子作りは幾分上達したが、どうしてもドーナツに手を出せない。
そしてもちろん、バレンタインに誰かにチョコをあげる機会など未だにない。

この時期になると、一人でバレンタインを過ごしながら、高校生の頃の馬鹿馬鹿しい思い出を振り返るのが毎年恒例になっている。独りで寂しいこともあるが、苦笑いする程度の思い出があるのは良いことだ。

来年こそ誰かにチョコをあげたい。