コロナ禍になってから3年が経つ中で、会社の同期と後輩が辞めていった。

人数が多い会社ではないので、東京の同期は1人、1つ下の後輩も1人だけだった。年齢も近く、空気感も近いことから、毎日のお昼や、休日に旅行に行ったりもした。職業上、終電に乗れないこともしばしばある中で、彼女達の存在は大切で、素顔を見せることができる数少ない人だった。

◎          ◎

同期が辞める半年ほど前に、これからの生活についてよく話をした。共にこのままの生活に疑問を抱き、新しい選択をすることを考えていた。やりたいこと、考えていることを打ち明け合った時の心が軽くなっていくあの感覚は、もしかしたら高校生以来だった。

それから半年、彼女はしっかりと自分の次の道を決め、ふるさとに帰ることを選び、辞めていった。大切な同期の卒業、新しい道へのスタートを本当に応援しようと思った。
それから程なくして、後輩から辞めることを打ち明けられた。彼女は同期とは違い、辞めようとしていることを相談することはなく、すでに決断をしていた。

何か自分に出来ることは無かったか、少し後悔もするけれど、彼女が晴れやかなことが救いだった。
今思えば、物理的に1人の時間を持つことになって、それぞれが自分の今について考える機会だったんだろう。
結果的に私が1人残ることになった。

◎          ◎

2人が居なくなってから、私の日常は緩く変わった。お昼はデスクで1人で食べるようになり、1日の中で仕事以外の話をする機会はほとんど無くなった。
前からたくさん話す方ではなかったが、素顔で話せる人が居ないこととは全然違っていた。

1人の時間が増えてからは、お昼は読書やラジオ、休日は映画を楽しむようになった。だいぶ1人をうまく楽しめるようになっていると思う。
特に好きになったのは、ミニシアターだった。大学生の時に映画を好きになり、大半はサブスクを使って家で観ていたが、長く続くコロナ禍で、1人に少し飽きていたのか、映画館に行きたくなった。
ミニシアターは1人の人も多く、たくさんの人がいるわけではないので、自分のスペースの中で過ごすことができた。

1つの物語に、それぞれが素の自分のまま向き合って、同じ時間や、もしかしたら同じような感情を共有しているかもしれないという感覚は、とても温かかった。
映画を観終えて、暗い部屋から町に出ると、今までよりも少し世界がいい場所に思えて、そのことに気が付けるようになれた気がして嬉しい。素の気持ちを少し更新できる気がする。今、一番素顔でいられる時間だと思う。

◎          ◎

2人の卒業から1年。マスクをとって過ごす日常に社会が戻ろうとしているけれど、もう彼女達はそばに居なくて、あの毎日に戻ることはない。仕事の忙しさは変わることはなく、どんどん先輩にもなっていく。

もっとわくわくすることはきっと他にもあるし、この仕事をずっと続けていくとは考えられない。けれど、私はまだ今の場所で頑張ろうと思っている。幸いにも今の場所で成長出来ていると感じるからだ。

振り返ると、あの時、選択しなかったことは自分らしいなと思う。
いつもきっぱりと決められない性格が情けない時の方が多い。
でもあの時は違っていて、数年間、一応必死でやってきたこの仕事を離れる潔さが無かったと同じくらい、まだ満足していないという気持ちが大きかった。自分なりに選んだのだと思う。

◎          ◎

この生活に抱く疑問がまだ残っていることも、誰かと過ごす時間が大切なことも知っているけれど、しばらくは素顔で過ごす時間は1人でもいいと思っている。客観的にみたら寂しいことかもしれないし、昔みたいな活発な素顔じゃないかもしれない。
けれど、彼女達がくれた1人の時間で、新しい素顔になれたことに喜びを感じようと思う。