思慮深さを自称する人々の大抵は、小説はなによりの読みもの的娯楽だと豪語しているような気がする。そんなことはないと思う人もいるかもしれないが、少なくとも私自身はそうだと思っている。
なぜなら私がそうであったから。これ以上なく確かで不確かなエビデンスである。

別段その特別感の向く方向は小説に限らない。エッセイでもいいし短歌とか詩集でもいい、なにせ文字がメインで編まれた本は素晴らしい!と絶賛していた。そこに差別意識など毛頭なくとも、だけどその持ち上げ方は他の人々から見れば明らかな贔屓であっただろうし、不快さを抱かせるものであっただろうし、その流れは自然と侮蔑されているような、そういう意識を持たざるを得ないものだったのではないだろうか、というやはり不確かな思い込み、エビデンスのもとそう思っている。だからこの場で宣言、いや叫びたい。

もっと世界を広げろ!!世界は素晴らしいぞ!!だってお前は生粋のオタクだったのだから……。

◎          ◎

思い返せば私の根源はオタクだったのだ。ひらがなカタカナ漢字を名探偵コナンやキン肉マン、キャッツアイ、その他諸々の漫画で小学校に上がる以前に習得し、同時期にまだVHSが主流であったレンタルビデオ店でいくらかのアニメを借りてもらい、そうしてすくすくと二次元コンテンツに対する好意を育てていった。
小学校時代ははやみねかおるの「夢水清志郎シリーズ」「怪盗クイーンシリーズ」、松原秀行の「パスワードシリーズ」を皮切りにジュブナイル小説への好意をやはりすくすくと育て、同時に週刊少年ジャンプを読み始めて漫画にどっぷり浸り、さらにそれから中学校入学よりいくらか前に西尾維新と成田良悟を愛した。

それだというのに、一体いつからだろうか。
そうした良質なオタクマインドを抑圧し、文字のみを愛すその姿こそが本好きだと錯覚し、いやそもそも、本好きなどといった、あまりに大仰かつ狭い価値観の中で道を誤り偏ったプライドと自己愛の中でつくられた肩書にとらわれていったのは……。

わたしが目覚めたのは最近だった。最近というより今日、これをしたためている今日、二月の暮れである。
時折重い瞼を持ち上げることはあっても半目にも届かぬ位置でまた閉じて、ようやっと目を覚ましたかと思えば偏愛によって縁どられてしまった書籍の重みでうつらうつらと意識をまばらにさせてまた眠る、その繰り返しだった。
今思うと私はそんな汚泥で愛すべき書籍たちを不必要な価値で汚してしまったことも、謝罪に謝罪を重ねてもまだ足りぬ思いである。

◎          ◎

ところで突然、かなり突然であるがここしばらくでドハマりしたコンテンツについて少し述べさせていただきたい。

まず今日読んでよかったもの、「宝石の国」という市川春子による漫画である。
期間限定で2023年3月1日4時まで99話まで読み放題という限りない太っ腹を発揮させたそれを、あっという間に49話まで読み終えた。これは紙媒体ですべてほしいぞと早くも本棚の一角を埋める妄想が止まらない。

次によかったもの、これは二種のコンテンツまとめてになるが、とあるVtuberの朗読するホラー系配信である。
Vtuber自体は元々好きな方で、数年前からリアルタイムで視聴したりファンアートを漁りまくってほくほくしたりとしていたのだが、熱が一等アツかったときと比べるとだいぶあっさりとした嗜み方になっていた。
しかしそれが最近、前述したとあるVtuber、彼の延々と一時間二時間と読み上げつつリスナーと考察を交えるその様に、ハートを撃ち抜かれてしまった。やはり元来ホラーコンテンツを好き好んで、それも小学生のころからネットに転がる怪談話を、さながら食べ終えた皿を脇に積み重ねていくフードファイターさながらに読みまくっていた私は再度その熱を高めつつあった。

◎          ◎

つまりこれはなんだという話だが、これにはちゃんと込められたメッセージがある。

一つは起きてくれ、ということ。
繰り返しになるが小説は素晴らしい、その他文字メインで編まれたコンテンツは確かに素晴らしい。語彙も増えるし想像力も鍛えられる、いい読みものだ。確かに価値は高かろうと思う、語解を恐れず言うならば。
けれどもしかし、それだけでいいのだろうか。私のように別の娯楽に足を突っ込んだことのある者ない者、両者これを聞いてくれ。メリットだけで歩みを進める人生をより輝かせたくないか?ただ好奇心に背中を押されて下劣だったり無価値だったりためにならないかもしれない、ただ面白いだけかもしれないそれらに目を向けた先を見たくないか?沼にハマりたくないか!?

そう、これはあなたたちの人生をがちがちにしすぎないための警鐘、もとい「おさそい」なのである。オタクというのは「おさそい」が大好きだ。だから真面目かつ興味深さ漂うタイトルで惹きつけ、読ませる文章を綴り、そしてここまで誘い込んだ。

ここまで読んでくれた人々に最後に本心を明かすと、最悪「おさそい」に失敗してしまってもいいと私は思っている。なぜなら、なにかをつくるオタクというのは、それに目を向けてもらえることがいちばんの喜びだったりするからだ。