何事にもきっかけというものはあるもので、私が今、こんな風になったのは、とある本のせいに他ならない。
それまでの私は、どこにでもいるありふれた文学少女だった。人付き合いが苦手なこともあり、図書館が一番の親友で、気になる本は片っ端から読んでいた。冒険物語を読めば気分はさながら探検家で、泣けるルポタージュを読めば感情移入し、一緒に泣いていた。

恋をするよりよっぽど深く、濃く、「風強」に、魅せられてしまった

そんな空想家で夢見がちな私が方向転換してしまったのは、中学2年のこと。
「それ」は、高校入試の過去問に載っていた小説だった。
題名は「風が強く吹いている」。
作者は三浦しをん。
入試に載っているほんのわずかな文章で、私は恋をするよりよっぽど深く、濃く、その小説に魅せられてしまった。

結論から言うと、私は「風が強く吹いている」――通称「風強」に、完全に落ちた。担任が「風強」の本を持っていたのも悪かった。
最初は「気になるくらいだし?」と謎の強がりを見せながら読んでいたが、主人公のカケル、そしてハイジさん、ユキ、神童、エトセトラエトセトラの、竹青荘に住む10人の虜になった。
寝ても覚めても頭の中は風強一色。家族にあらすじを早口で捲し立て、まだ小学生だった妹に、無理やり本を押し付けた。ちなみにその時、私は既に、「風強」を二冊持っていた。
「観賞」用と「実用」用である。

「風強」に対する愛は二次創作にもハマり、人生のバイブルに

ある日のことである。「風強」に対する愛が強すぎる私は、インターネットの大海に潜っていた。
どこかに「風強」が好きな人がいないか探すためである。
すぐに見つかった。しかも沢山。
二次創作と共に。
「えっ、カケルとハイジさんのお話じゃん」
「あっ、こっちは名前を入れられるんだ」
そう。もうお分かりかと思うが、私は「風強」のせいで二次創作にもハマってしまったのである。

最初は読むだけで満足していたが、次第に欲が湧いてきた。
私も書きたい。
その時には私だけでなく、妹も「風強」の虜になっており、二人で毎晩「風強がいかに素晴らしい小説なのか」を語っていた。とんでもない姉妹である。

「カケルとハイジさんの話書くの? きりちゃん(妹のことである)も読みたい!」
話を書きたい、と言っただけでそう即答されるのだ。私もとんでもないが、本当にとんでもないのは妹である。
感情のままに二人のことを書いた。内容は覚えていないし、確か、とても短い話だったが、それでも私は強く満たされた。
「え、超いいじゃん」
という妹の言葉もあって、私は更に気持ちよくなってしまった。

当時中学生の私は家にあるパソコンでSNSを始め、そこで「風強」が好きな人達と沢山出会うことができた。コミケ、という言葉も、2.5、という言葉も全てSNSで知った。
「風強」は私の人生のバイブルそのものである。

あれから10年、「風強」のせいで人生が変わり、めちゃくちゃ楽しい

あれから10年程が経つが、私は今でも文章を書くオタクだし、妹は読む専のオタクにすくすくと育った。
そしてこれは、つい最近の事である。
「ねえ、ねね(妹は私のことをねねと呼ぶ)」
「なに、きりちゃん」
「ねねは風強で誰が一番好き?」
久しぶりの「風強」の話だった。
「うーんとねえ」
少し考えたフリをした。深く考えているように見せるためである。
「まずはカケルでしょ。カケルは何がいいってまず見た目が可愛いし、あと皆のことめっちゃ好きじゃん? 酢の物が嫌いなところも可愛いし、あとなんだかんだめちゃくちゃ仲間思いじゃん。後はね……」
「長いな」
これだからねねは、と妹は鼻で笑ってきた。
「じゃあきりちゃんはどうなのよ」
「どう考えてもニコチャン先輩」
ニコチャン先輩とは、七区を走った25歳の大学3年生のことである。
「あのときはめちゃくちゃ年上だーって思ったのに、今やねねと同い年とか、ヤバくない?」
「確かに。出会ったときから、干支が一周りしようとしているよ」
「『風強』のせいで、きりの人生も、ねねの人生も絶対変わっちゃったよね」
妹はふう、と息をつき、そう言った。
「でもさ、きりちゃん」
「なあに?」
「その『せい』で今、めちゃくちゃ楽しくない?」
「まあね?」
妹はにやりと笑い、彼女が自分で買った、我が家で3冊目の「風が強く吹いている」をぺらりと捲った。