28年間、自分は“ガチのオタク”だと思っていた。

父親の定年に基づき、あれこれそういえばねってメッセージを考えていた際、父親から影響を受けたものを思い返す中で、一番大きかったものが“オタク趣味”であった。

漫画と特撮・アニメにほぼ囲まれ「オタクの英才教育」を受けて育った

家が医者だからとか、家が農家だからみたいなもの。それが我が家は“オタク”であった。いわゆる“オタク”の家系だった。両親はオタク。毎日漫画と特撮・アニメにほぼ囲まれて生活していた。家の本棚には戦隊ヒーローや特撮の演出、監督の伝記ばかりが揃い、資料集も充実していた。

物心がついたころには、我が家では特撮アニメの「○○話がどう」「OPを見て○○話」「この怪人はこういう背景やデザインがあって」とか。そういうことばっかり言って、ゲームアニメは規制等はなく与えられている家だった。それが当たり前だと思っていたし、そういった楽しむコンテンツとして、私はアニメや特撮といった類のものが主流になっていた。

そんな中、当然できたのはオタクの友達だった。物心ついたときから、親兄弟と話を合わせ、友達とコミュニケーションをとる手段として、アニメ漫画は基礎体力みたいなものだった。「視点がプロだよね」「君ほどオタクじゃないから」「本物のオタクだよね」と、学生の頃はそれで「オタクです!」って言って、笑っていられた。

聖地巡りをしても、家で同人誌を広げても、演出家の話をしても引かれない家庭。その中で、私は伸び伸びと“オタク”を育て上げていた。高校生の時は、コスプレでパフォーマンスをしたし、大学生の時は、同人誌を出した。ずっといわゆる“オタク”クラスタの中にいた。自分もそうだとずっと思っていた。

教員になってもコミュニケーションツールとして、オタクは役に立った

オタク趣味は、新卒後、教師となった私には非常に強い武器となった。シーズンのアニメ、人気の声優、ちょっと引っ込み思案で話の苦手な子供たちが、嬉々と私の前では饒舌におしゃべりをする。「この子の好きなゲーム作品は、ちょっと年代が一般的な同世代と離れているから、もしかして、馴染めないんじゃないですか」そういったプロファイリングは、私にしかできない視点だった。よりどころにしてくれる生徒、いっぱい話してくれる生徒もたくさんいた。

視点を得ることも楽しかった。また、友人たちとのつながりも踏まえて、息を吸うように私はアニメやゲームをチェックしていた。それは当たり前だと思っていた。

温度差に気づいたのは、教師を辞めて、ちょっとした後だった。別にもうシーズンアニメをチェックしなくていい。むしろ、教師を辞めてしまったことに罪悪感とショックがあったため、子供を思い出すゲームやアニメから少し距離を置いたときだった。

「もしかして、私、そんなにアニメ漫画のオタク趣味がない…?」という温度差に気づいてしまった。同じようにオタク趣味をしていた友人たちは、SNSで絵を描き、重課金を施し、経済を推しとともに回している。

私は課金をしたことがあっただろうか。これが好きだからといったグッズを買っただろうか。ライブに、彼女たちのような燃える情念を持って、ファンレターを書いて、追いかけただろうか。父や兄のようにコンテンツについて熱く語れるだろうか。

ただ、身近にたっぷりのお手本と、手を伸ばせば“ある程度”はすぐできたから、やっていけただけなのではないだろうか。お金や時間に制限があった学生時代は、私はいわゆる“ガチのオタク”の人々と同等の会話と、視点が持てていた。友人たちは、その後“自分たちの意志で”、何回も同じ映画を観て、缶バッチ等を無限回収し、コンテンツを楽しみ感動してきたのだ。

というかオタクというものはそもそも家系や遺伝、教育ではなく、個人がもつ特性や趣味である。また、お金=愛の重さでもない。それはオタク趣味だけとは言い切れない。

大人になってパワーアップした本物のオタクのみんなには、意志のない私は勝てない。いや、勝負するものではないけれど。そう思った。私はいわゆる“受動喫煙”の形でオタクをしていたのだ。

「オタクのお父さん」の子供だけど、ガチのオタクじゃないのかも…

「お父さんの子供だからな!やっぱり我が子はオタクだな!」と言われて育った。兄は特撮にアニメを観て、ファンアートを投稿している。じゃあ私は?確かに表現できるものはあるけれど。生まれてきてずっと私も勘違いしていたのかもしれない。

まず言いたい。お父さん。もしかして、そんなにオタクじゃないかもしれない。なんというか、オタク趣味と知識って英会話みたいなもので、該当諸国にいてバリバリその言語使うかどうかみたいな感覚に近しいものを感じる。

私は今、オタク文化の家庭と生活圏にいて、それを使わざるをえなかった帰国子女が、帰国したてみたいな状況に今なってるのではないかと思う。「英語ができたから海外でも友達がたくさんできました!」「生まれた時から両親の影響で英語を使う文化圏にいました!英語が得意なので英文学科に行きます。将来は英語を使って仕事がしたいです!」の英語を、そのまんま“オタク趣味”にしたら、全部ストンと落ちた。

オタク英才教育はある意味、一周回って異国への英会話教育みたいなものだった。ただ、これがなかったら私、友達ができただろうかというと、自信がない。そう考えると、いわゆるインテリの知識ではなかったけれど、オタク英才教育は、ある意味立派なコミュニケーションツールを会得する、人生の活路を切り開く英才教育だったのではないかと思う。

そんなわけで、私はいわゆる立派なガチのオタクではない自覚をしてしまったが、今この文を、私は今期の戦隊ヒーローを観ながら書いている。趣味やコンテンツで人を差別せず、物事を楽しむ視点を与えてくれたのは、紛れもなくお父さんの影響だ。

もう一言。言いたいことの付け足しとして言いたい。お父さんありがとう。おかげて友達はたくさんできた。オタク英才教育、ある意味成功なんじゃないかな。