大学4年生の春。本格的な就職活動がいよいよ始まる直前、私は六本木のカフェにいた。そのカフェの入っている商業ビルの企業へ就職活動をする予定だった私は、「第一志望です」と熱心に語る同い年の女子学生と、その企業現職の若手女性社員へ質問をしていた。

今となっては内容は思い出せないことも多いが、同席したあの女子学生のことははっきり覚えている。恋愛でもここまでハマらないだろう、と思わせるくらいの熱烈アピールだった。
隣に座った私はどこか気持ち遠く、「私はこの子のような熱量はないな」と自己分析をしていた。

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あの後、あの企業から早々にお祈りメールを受信し、最近までその出来事のことを忘れていた。
ふと思い出したのは、また職探しをしなければならなくなったからだった。

この春より修士課程2年生になる私は、来年にはまた社会人として冷たい社会に戻ることになる。
離職してキャンパスライフを送っている私は、働きながら通っている社会人学生とは違い、ゼロ地点からの就職活動になる。
しかも社会人経験が6年もある私は新卒として職探しをするのではなく、あくまでも転職活動に近い形で探すことになる。
企業から見たら、伸び代しかない真っ白い新卒ではなく、すでに薄らカラーのある29歳の社会人経験者を採用することになる。
つまり、はっきり何ができるのか、企業にとってどんな活躍が想像できるのかがポイントになるわけだ。
その企業側の気持ちは当然理解しているものの、私の中で何かが腑に落ちない。
その何かを掘り下げているうちに行き着いたのが、あの熱量高めの女子学生だったのだ。

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彼女は都内でも有数の名門大学生で、びっしり書き込まれたノートを持参して、約1時間のインタビュー時間ギリギリまで質問を投げかけていた。私の番など気にしないで、ハングリーに自分のしたいことをしていた。
あの社員にしてみたら、横に並んだ就活生2人の違いは面白いほど明白だったと思う。営業社員のように自分を売り込む上に、勢いよく情報を集める学生。そして1時間で自己紹介くらいしかしていない学生。
そのインタビューが終わり、その社員に礼を言って私とその女子学生は店を出た。
店を出て直ぐに、彼女に一声かけたところ、彼女は返事なく一人さっさと歩いて行ってしまった。最後まで私の番はこなかった。

ここにきて彼女のことを思い出す理由は、憧れがあるからだと思う。あの後、彼女があの企業に就職したのかは分からないが、きっとどこかで力強く働いていると思うと、「なぜ私は彼女のように熱意をもって仕事と向き合えないのだろう」と悔しさに似た感情が出てくるのだ。
大学を卒業してから学生に戻るまでの6年間、いい加減に働いていたとは思わない。
しかし、あの彼女ほどの熱量はなかったことは認めないといけない。
どの仕事も好きだったし、それなりに真剣に向き合ったと自負もしている。
しかし、彼女を思い出すと言葉を濁らせてしまうのだ。そのくらい真っ直ぐな人だった。

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そして、もしかしたら人生最後かもしれない就職活動を目の前にして、私は彼女になりたいのだ。
それは、私の研究のテーマに準ずる、働きながら一生をかけて研究できるような企業があるからだ。なんとしても入社したいと強く強く思っている。
ただ、熱量だけでは受け入れてもらえない29歳。私はそこで何ができると自分を売り込めるのだろう。
この答えはまだ探している。しかし、あの彼女に教えてもらったことは、強みとして前面に押し出せないものの、心の中の最も確かな支えになるのだと予感している。
なぜか。
それは私が社会人になってから面接に同席した経験、つまり、企業側の人間に立った時の学びがあるから。実績やその人の受け答えには様々な考察が生まれる。それは否定的なものであることもしばしば。しかし、熱量のある人の印象には、ネガティヴな感情を挟む余地はないのだ。
そこが採用の決め手になるかは分からないが、それでも人は純粋な熱い気持ちに動かされる生き物である。
人生で一度くらい、力任せに熱い思いを押し通してみても悪くないだろう。