先日、駅のエレベーターで衝撃を受けた。
私がキャリーバッグを引き、エレベーターでホームへと向かうと、そこにはベビーカーに赤ちゃん、そして傍らに2~3歳くらいの女の子を連れたお母さん、そしてその後ろにお父さんだろうか?おじさんがいた。

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何故ただのエレベーターを待つ他人ではなくお父さんと思ったかというと、その距離感である。距離がかなり近く、ちらちらと女の子の方を見ているのである。お母さんはベビーカーの赤ちゃんが少しぐずっているのに気を取られているから、お父さんが代わりに気にかけているのか?と思ったのだ。
だが、事実は違った。

エレベーターが来た時、お父さんかと思っていた男性はすっと女の子のお尻を丸を描くように撫で、そのままエレベーターには乗らず改札の方へと向かってしまった。
お父さんではなく女児を対象にした不審者だったのである。

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女の子は急にお尻を触られたことに不思議そうに何度も振り向いていたが、お母さんはそれに気付かず、「どしたの。いくよー」と声を掛ける。
同じエレベーターに乗り込み、私は先刻のことをお母さんに告げるか迷った、まだ性が分からぬ子供とはいえ、知らない人に触られるのは不快だろう。心のケアが必要だと思ったからだ。

でも犯人も逃げられてしまった今、「さっきお子さん、おじさんに触られてましたよ」なんて言ったら私の方が怪しいだろうか?そう思ってるうちにホームにつき、電車が来てしまい、私と、そのお母さん達は別の電車に乗り込んだ。
だが、私の対応はあれでよかったのだろうか?あの女の子の心は大丈夫だろうか?今でも頭を抱えている。

先日のエレベーターの一件で、私は子供が標的になる事件を調べてみた。圧倒的に女児が狙われた事件が多かった。
ショッキングなものも多くて、パソコンを見つめる視界が揺らいだ。マウスを持つ手が震えた。

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それは特別な事件のことのように思えるが、記憶を遡ると、私も幼い頃に父親とセーラームーンのミュージカルを見に行った時……父がほんの少し目を離したところ、おじさんが私に近づいて来て声を掛け、戻ってきた父親が「なんだお前!」と怒号を飛ばしたのをなんとなく覚えている。

その人を幼い私は不審者とは思えず、ただ知らないおじさんに話しかけられたなあ、という認識しかなく、怖いという感情もよくわからなかったが、年齢を重ねた今思う。ひとりでいる幼い子供に声をかけるのは明らかに怪しい。

何か用があるにしても、子供にではなく、保護者に声をかけるのがセオリーだ。子供が標的になるニュースをどこか他人事に思ってしまうけれど、もしかしたら誰にでも起こりうることかもしれない。私だってあのミュージカル会場で拐われていてもおかしくなかったのかもしれない。

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私にはなんの力もないけれど、変えていかねばならないと思うのは、安全である。
最近は「治安が悪くなった」と嘆かれている。それをただ甘んじて「悪くなったなあ」と受け流すのではなくて、声を上げていかなくてはならない。こうして言葉を紡ぎ世に問い掛ける事も声を届ける小さいけれど確かな一歩だ。

そしてなにより変えていかねばならないのは、性加害者に対するより重い罰であり、改心させること。
なにに心ときめくか……は人それぞれではあり、どんな性癖であっても「好き」という感情を否定することは出来ぬが、その感情がひっそりと楽しむものではなく、誰かに危害を及ぼすならば咎められなければならない。
けれど日本の司法は非常に甘い。

「受験の日ならば痴漢をしても被害者は試験開始時間があるから騒ぎにしない、痴漢し放題!」なんて言葉がネット上で盛り上がり、子供が性暴力を受けた事件でも子供の証言は信憑性がないと罪が軽かったり、咎められぬこともある。
間違った、歪んだ性を題材にした漫画やゲームがネット上には当然のように浮かんでおり、気軽にアクセスできてしまう。
その一方で「日本は海外に比べて性教育をしっかりしよう」と声が上げると「汚らわしい!」「不潔だ!」と猛反対されるから、一向に取り組めない……と教育関係の仕事につく知人が嘆いていた。

私は「3年B組金八先生」というドラマが大好きでCSチャンネルで平日に放送されているのを録画して見ているのだが、2004年放送のシリーズでも性教育を取り上げた先生が批判され親が乗り込んでくるシーンがある。
20年近く経っても何も変わっていないのだ。
性に関心の高い思春期に、正しい知識を塞いだら、間違った知識を吸収するしかない…そしてそのまま大人になっていく……その現状を変えていかねばならない。

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先日、知人に赤ちゃんが生まれた。女の子であった。
知人は喜びつつも「女の子だと心配することがたくさんある……」と、「?」を浮かべる旦那さんの横でため息をついていた。

私はそのため息の理由がわかった。知人は痴漢被害に何度もあったり、元カレが別れてもなおつきまとってきて警察に相談したりと、危ない目にあってるが故に危機意識がかなり強かった。誰かに氏名を見られぬよう定期券を裏向きに入れて、私が一人暮らしする際には「男物の下着をベランダに干さなくちゃ駄目だよ」と、履く人のいない新品のトランクスをプレゼントしてくれるほどだった。
だからこそ、同性の我が子がこれから安全に生きていけるのか、生まれて間もないのに不安そうであった。

彼女と共に、私も友人に産まれた子も、これから産まれてくるであろう子もこれから安全に生きていってほしいと心から思う。