「私」は、今を生きるのがとても苦しい。

私は東京で働く26歳の女性だ。
上京してすぐに見つけた小さな会社で、正社員として働いている。年収はぴったり300万。この生活がもう4年続いている。
小さな秘密は慶應義塾大学の通信教育に通っていること。理由は短大卒の学歴を書き換えて、もっと稼ぎの良い仕事につく為だ。
稼ぎの良い仕事について、大きな家に住んで、良い暮らしがしたい。今のペースならきっと再来年には大学を卒業できるだろう。

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実際、今の仕事の成績は良いし、勉強も手を抜かず、私はよくやっている。そう、計画的によくやっていると思う。
でも、本当は自分に言い聞かせる度に、焦燥感に駆られている。やってもやっても拭いきれない不安が襲ってくる。どんなに大きな夢を語っても結局、私の現状は変わっていない。
私の価値は300万で、こんな私が学歴を積んだとして何になるんだろうか。今以上の給料を提供してもらえる為には何が必要だろうか?ITスキル?マーケティング力?企画力?どれ一つとっても全然足りない。勉強だけじゃなくて、もっともっと社会から求められる人材になれるよう頑張らないと。

それなのに、気づいたら涙がこぼれて会社を休んでいた。
私が1番嫌いな休む事を選択してしまった。
遊ぶ予定がある訳でも、病気な訳でもないのに。休むという決断にすら不安や罪悪感が付きまとい、苦しい。
私は他の人が簡単に選択できる事ですら、簡単に手放せない。
きっと何者でもないから何にでもしがみついてすがってる。
本音は何ひとつ手放したくない。
休んだことで、私はつい頑張りすぎる私を手放してしまった。

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その時、不思議と少し胸が軽くなった。
胸に詰まっていたちいさな何かが弾けた気がした。
そして気がついた。
今日まで継続してきた「頑張ること」。
取り柄のない私の唯一の武器である、頑張ることが気づいたら胸の中をこんなにも大きく支配させていた事に。

学生の頃から、無遅刻無欠席無早退で、卒業式で表彰されたあの日から「休まないこと」「継続すること」「頑張り続けること」が、私の誇りになっていて、今日まで消えることなく雪のように毎日降り注いでいた。
手放す勇気、これが今の私にとって必要なものだったのかもしれない。

野心も、目標も、頑張ることも、「私」の核は何一つ捨てたくない。
でも、時には手放すことも大事だ。必要なら、またその時に取り返せば良い。
そう思うと途端に楽になった。

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この決断が未来の「私」にどう影響するかまだ何も分からない。
すぐには、全てを理解することも、自分を変えることもできない。
でも、確かに今「私」の視界ははれている。
確かにそこには「歩きはじめた私」がいる。
新しい1歩を踏み出した私と未来の私。
自分が好きだと思える私でありますように。笑顔で大きな空に羽ばたけますように。
1歩ずつ、時には3歩、10歩、前を歩む日もあれば、進んだ歩数よりも後ろに下がらなければならない日もあるかもしれない。
だけど、もう大丈夫。
夢が夢で終わらないように、私は今日から「手放す勇気」を育てていこうと思う。