突然ですがお尋ねします。あなたに人生の目標はありますか。
死ぬまでにやり遂げたいこと。人生100年と考えたら後半、大体80歳くらいで成し遂げていたいこと。
私にはあります。私はエッセイでも小説でも詩集でも何でもいいから、本を出版したい。
この目標を掲げたのは高校生の時だった。
進学する大学を決め始め、その先の将来をだんだんと現実的に考え始めたころに、「そうだ、本を出版しよう」と思った。某番組の京都に行くテンションである。
私がこう思い至ったのは、通っていた高校の英語の先生が本を出版したからだった。しかもその本は英語や海外とは全く関係のない、日本史、吉田松陰に関する本。吉田松陰に対する想いを詠んだ、短歌集。
え、英語は?と、当時の同級生は口をそろえて言った。先生は、ただただ吉田松陰を尊敬していて、その想いを世に報せたかったのだ。自費出版してまで。
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その話を聞いたとき、本ってそんな簡単に出版できるんだ、と思った。お金のことはさておき、英語の先生が、趣味として書いていた吉田松陰に宛てたラブレターを本にして発売できるなんて。
これが国語の先生だったら、それなりに文章力とか語彙力とか必要なんだろうなと悟れるのだが、英語の先生が、だ(くどい)。そもそもの出版に対するハードルが下がった。
私は、当時から文章を書くことは好いていたものの、これを仕事にしたり世に知らしめるつもりは一切なかった。むしろ、そんなことが出来るのは一握りの文豪だけだと思っていた。
しかし、英語の先生が短歌集を出したことで思ったのだ。「もしかしたら、いや、無理だろうけど、もしかしたら、私もその気になれば、本、とか、出版できるのでは?(もちろん出版費用は出版社持ちで)」と。
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つまり作家になれるのではと思っていたわけだ。もちろん大学では普通に就活したし、営業と事務に徹していたが、ずっと心の片隅では、作家になることを夢見ていた。
本を出版して、日本の文学史にめちゃくちゃ小さくていいから名を残したい。そして、微少でいいから印税とやらを貰いたい、なんて。
ただ、作家とかそういう創作関係の仕事は、努力よりも才能の世界なので、高校の時に「もしかしたら出版って結構簡単かも」と思っても、どこかではそう簡単な話ではないことも重々理解していた。「自分の本を出版したい」というのは、夢にするにはちょうどいい。でも本気で追いかけるには、少々無謀。そんな認識だった。
しかし昨年の12月、私は仕事柄、自分の時間が増えた。だからいい機会だと思い、力試しを行ってきたつもりだ。エッセイと小説に関するあらゆる公募に出しまくって、その反応を見た。私の書く文章はいかほどか、需要はあるのか。
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年明け2月。私は小さなコンテストで準優勝を受賞した。自分の書いた小説が認められ、賞金2万円を手に入れたのだ。自分の創作物がお金になった感覚は、なんとも言えない快感だった。
そうして私は今も文章を書いている。かがみよかがみも、私にとってはある種の経験で、僭越ながら私はこうして自分の力試しと経験値を積んでいる。
密かに作家に憧れていた思いが、今ようやく現実味を帯びて私を動かしている。いつか自分の本を出版するまで、私は今日も文章を書く。