習い事も児童代表も、自分の意思でやっていたけれど…

子供の頃から何よりも褒められるのが大好きだった私。
親からも親戚からも「しっかりしていていい子」とよく言われました。
その仄かな承認欲求は徐々に肥大化していき、小学校から大学2年までは「良い子でいなければ誰からも認められない」という風に考えていました。

小学校の頃はテニス、ピアノ、塾に通いつつ、児童代表をやったりしていました。
ここまで聞くと「親にやらされて、押し付けられているのでは?」と疑問に思う人が出てくるかもしれませんが、全て私がやりたがり、親に頼んで習わせてもらっていました。

今思えばやりたかったわけではなくて、「偉いね」といった類の言葉が欲しかったのだろうと思います。
ただ、その頃は自覚はないものの、「私は優等生。皆から注目され、認められる存在なんだ!」とどこかで思っていたと思います。

成績が落ちた私に、母が無意識にかけた一言が忘れられない

初めて「自分は頑張らないと認められない」と思い込んでいると自覚した時は中学1年生の頃です。
入学してしばらく経ったあとの面談で、先生から「成績が下がっている」と指摘をされました。
その時、おそらく母は無意識ではあると思いますが、面談の後の帰り道で「がっかりした」と私に言ったのです。

ちなみに我が家は学歴至上主義的な考え方などはなかったですし、その後母や父から勉強を強要されるようなことは一切なかったので、思わず本音からポロッと出た一言だと思います。
10年以上経った今でもその言葉は喉につっかかった魚の骨の様に、心に引っかかって取れることはなく、「ああ、私は良い子でいないと認めてもらえないのか」とハッキリと今までもそう考えていたことを自覚しました。

彼に将来の目標を答えたら、思わぬ言葉を返された

中学・高校と私のキャパシティの範囲内ではありますが、学校生活を頑張り、先生からも同級生からも色んな面で信頼される生徒になりました。
大学入学後も率先して「良い子」であろうと、親が勧めたアルバイトをやり、給付奨学金に応募して奨学金で少し親への学費の負担を減らしたり等、模範的な学生生活を送りました。

その頃、現在の主人と出会いました。
主人は所謂要領が良く、勉強ができる以上に頭の良いタイプの人間でした。
彼の考え方や生き方は今までの私の価値観では有り得ない部分が多かったのですが、その為とても惹かれました。

大学2年の時、転機が訪れます。
主人に「将来何になるの?」と尋ねられました。
私は即答で「教師だよ」と答えました。

そう答えると大体は「そうなんだ」で話は終わりますが、主人は違いました。
「なんで教師なの?」
「中高の顧問の先生が素晴らしくて、私もあんな風になりたくて……」
そう答えると、
「それ、本当に自分の言葉なの?君は誰のために頑張ってるの?」
と言われました。目からウロコでした。

誰のために頑張る……?確かに誰のために頑張ってるんだろう。
初めて言葉の真意を見破られた気がして、素直にそう思ってしまいました。
「人のために頑張れるのは君の才能だけど、自分のために頑張ったことある?君の人生だよ?誰のために生きてるの?」
畳み掛けるように言われ、その間も目からはウロコがポロポロと落ちました。

「自分のため」に、時には休みながら頑張っていこう

私はこの言葉をきっかけに、そこから少しずつ手を抜くことや休むこと、何より自分のために頑張ることを覚えました。

今までは両親に喜んでほしくて……友達に喜んでほしくて……と自分を犠牲にして頑張ることが多々ありました。
しかし、彼の言葉で気づいたのですが、その頑張り方は相手に責任を押し付けているのとあまり変わらないのです。

私はこの彼の言葉をきっかけに、子供の頃から親を喜ばせるために言い続けた教師の道には進まず、全く違う業種に勤めました。
親は「そんなことに興味があったなんて!!」ととても驚きつつ、応援してくれました。
私の無責任な押し付けがましい頑張りは、両親をも欺いてたことに気付いて反省しました。

これからも私は他人のため以上に自分のために、自分と真摯に向き合って頑張り、そして時には頑張りを休んで自分の気持ちを大切に生きていきたいと思います。