私が高校生の時の冬、ある男の子と恋をした。

彼は、いつも光り輝いていた。優しくて、坊主頭の証明写真ですらかっこいいと思ってしまうほど端正な顔立ちだった。その上、野球部強豪校でスタメンだった彼は、女子から騒がれることや告白されることも珍しくなかった。 

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私とは、学校の委員会で知り合った。彼とは正反対に地味で内気だった私だが、彼とたまたま趣味があい、仲良くなっていった。それから、LINEや電話をたくさんしデートも重ねた。

男友達と遊んだことすらなかった私は、彼とのことはぜんぶ初めてで、いつも新鮮だった。そして、すぐに私たちは付き合うことになった。
付き合ってからの彼もまた、たくさんの魅力のある一面を持っていた。ほぼ毎日電話をくれて、野球で忙しいのに忙しい合間を縫ってまで私に会いにきてくれた。
また、かっこよかったが少し強面な彼の顔からは想像できないほどの甘えん坊な一面も見せてくれた。
そんな幸せな日々を送っていた私だが、時折不安に襲われることがあった。

学校でクラスの中心にいて騒いでいる彼を見ると、やはり「なんで私なんだろう」と自分と彼との間に見えない壁を感じた。デートに行く時も、「もし私が普段は地味で内気なことがバレたら……」や「合わないと感じているのではないか」という気持ちが頭をよぎることもよくあった。 

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彼はよく私に「大好き」と愛をささやいてくれた。私も「大好き」と返した。私の方から「大好き」と言うこともよくあった。その後に私は続けて「愛している」と言おうとした。しかし、何かがつっかえて言えなかった。

それがどうしてなのか気になり、「愛している」と「大好き」の違いを考えてみることにした。

出た結論は次の通りだ。

「愛している」はかけがえのない存在、人生のパートナーに使われるように感じる。例えば、家族愛。多くの人にとって家族はかけがえのない存在であり、自分の人生の中で多くの時間を過ごす。また、愛情。これは、知人から聞いた話だが、夫婦がお互いのことを恋愛対象として見れなくなっても一緒にいられるのは、男女の仲を超えたものが存在するかららしい。この「もの」こそが、愛情のことだ。

対して、「大好き」という言葉は、片思い相手のことを友人に話す時などによく使われる。「私、〇〇くんのことが好き」と言う。しかし、「愛している」とは言わない。ここから、「大好き」は愛より未完成な概念だと感じる。

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ここで、私が考える「大好き」と「愛している」の違いを具体例を使って説明する。

「愛している」は、典型的なイメージ通り赤色のハートだ。そして、「大好き」は先ほど述べた通り未完成の愛だ。だから、ピンク色と仮定する。

「大好き」を煮詰めて煮詰めたら真っ赤な愛になる。でも、愛は鍋を二人で煮詰めないといけない。一人欠けると焦げてしまう。黒くなったらハートが崩れて、ドロドロした黒い塊ができる。ここからは、なかなか愛に戻すことはできない。やっぱり「愛している」が一番良い。

「大好き」はピンク色のハートで綺麗だけど、未完成だから消えてしまいそう。だから「大好き」はとっても儚い。ずっと続くかわからない。

そして、私が「愛している」と言えなかった理由もやっとわかった。

私たちの恋が、今冬限りで終わってしまうように感じたからだ。雪が溶けて春になったら消えてしまいそうだ。

野球部がoffシーズンに入ったある夕方、私たちは「大好き」と言い交わした。私は続けて彼に「愛している」と言おうとした。でも、それはまた喉につっかえた。

その事態に動揺している私を見て彼は何を感じたのか、キスをしてきた。彼とのキスは初恋の味がして、彼の優しい温もりは今にも消えてしまいそうだった。