「好きじゃなかったら、毎日やりとり続けないよ」と彼は言った。
好きだから、毎日連絡をする。
「〜じゃなかったら〇〇しない構文」を使って気持ちを伝える男には気を付けろと、雑誌やインターネットの恋愛系の記事で教わった。
だけど、私はこの構文を大切にしている。私のことが好きな理由を並べられるより、ずっと分かりやすいし、納得できる。
「だってさ、私のこと本当に好きなの?どこが好きなのよ」と笑って彼と距離をとろうとする私。

「好きじゃなかったら、毎日やりとり続けないよ」と私を引き寄せようとする彼。
その日の私は、騙されるもんかと思った。
「ほら、どこが好きか言えないじゃーん。やりとりはね、どう思ってても続く時は続くよ〜」

少なくとも、私は続く。どうでもいい人とも、続く時は続く。
雑誌やインターネットの記事に書いてあったことは本当だったかもしれない。
でも、彼の言ったことも本当だった。

出会った日から連絡は途切れることなく続いていて、彼は元々連絡をまめに返す性格なのだと思っていた。だが、私への好意なのか、興味なのか、とにかくそういったものが薄れるにつれて、私と彼のやりとりは続かなくなった。

彼から連絡が来ることが当たり前だった日々は完全に思い出になり果てた。
「好きだから、毎日連絡をし合う
「好きじゃなかったら、やりとりは続かない」
止まったままの彼とのやりとりの履歴を見ながら、その言葉を頭の中で反芻させた。

それ以来、私は「〜じゃなかったら〇〇しない構文」を軽く笑って流さなくなった。
勿論、あっという間に薄れてしまった彼の「好き」なんて、あってなかったようなものである。だが、僅かでも生まれていた「好き」と、あの言葉……言うなれば垣間見えた「好き」の片鱗を、育むことなく、軽く流してしまったのは事実だ。私も彼のことを好きなくせして。

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誰かとやりとりが続き始めた時や新しい恋が芽生えそうな時、いつも私は彼とやりとりをしていた日々を思い出してしまう。だいぶ癪だが。
全てが好き、とまでいかないだろうが、私に向けられた好意のようなものがあるから成り立つこのやりとりを、当たり前と思わないように。
思い出しては、大切にしようと自分に言い聞かせる。

だが、こんなことを思いながらやりとりをすることが果たして幸せなのだろうかとも思う。
いつかはこのやりとりが終わってしまうなんて考えもしないほど、当たり前に、日常に溶け込んでほしい。安心して毎日やりとりをしたい。

それに「好きでいてくれている」とか「やりとりをしてくれている」とか、私の性質上、徐々にそんな考えが頭を埋め尽くすようになり、自らの立場を下降させていく。
「好きだから、毎日連絡をする」は「好きでいてくれているから、毎日連絡をしてくれる」に変わり、やりとりが終わる日が来ることに不安を覚える一方で、やりとりが続く限り私に好意があるのだと安心する毎日を送る。

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月曜日の朝もすっきり起きることができるのは、昨晩の返信が来ているかもしれないからである。

フルーツと、ゆで卵とビスケットで1日を乗り切れるのは、ちょっとしたやりとりから派生して、彼からデートのお誘いが来るかもしれないからである。
伝えたいことを今伝えるか、一旦見送って次の私のターンで伝えるか、悩んでみたり、彼への返信を緊張する商談を終えたご褒美として設定してみたり……。

やりとりが終わることへの不安はあれど、私のそんな毎日は彼とのやりとりのおかげで明るく輝いている。輝きすぎるくらい。やりとりをしている日々だけは。
好きじゃなかったら、こうならない。