今まで、あまり未来のことを考えたことがなかった。
それは自分が5年、10年先生きているイメージがつかず、今で手一杯だったから。長生きする前提がおかしいと思っていたし、そこまで長生きすることに意欲もなかった。奨学金は完済するけども……みたいな。

しかし結婚し、専業主婦として夫の健康管理を担う身となった。あまり無責任なことも言っていられない。それに、いくら精神年齢が10代後半で止まっているとはいえ、いつまでも親に頼ってばかりはまずい。そろそろ頼られる側にならないと、安心してもらえない。

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新卒研修で課された「数年後の自分」欄を時間切れギリギリまで白紙にしていた私なので、未来をどう設定すれば良いのかすら悩ましい。短めにしたほうがイメージしやすいだろうか。それとも思い切って50年後とか……。

ここは研修のリベンジということで、5年後にしてみよう。5年後なら体調や容姿も劇的には変わっていないだろうし(そうであってほしい)、北海道新幹線もまだ札幌延伸していない。案外とすぐに来てしまう年月である。

そのとき私は30歳を過ぎている。就職してすぐの上司がだいたいそのくらいの年齢だった。バリバリと仕事をしていて、知識も体力も十分。その部署のリーダーとして、まわりに指示を飛ばしながら、新人の私を教育しつつ、自身の仕事もこなしていた。
瞬時に、ああはなれないかな、と思う。だって、タイプ属性が全然違うもの。近しいロールモデルじゃないと、どうすれば良いかわからなくなりそうだ。

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考えあぐねて、ふと親の年齢を考えてみた。今◯歳だから……と5を足した瞬間、衝撃が走った。も、もう大台に乗っているのですね……?一気に焦燥感に駆られる。新幹線がどうとか言っている場合じゃない。

現代ではまだまだ若いとされる年齢だし、もっともっと長生きしてもらいたいのだが、本格的に私もしっかりしないと。
買い物に行く道中に歩きながら考えていた私は、自然と歩を早めていた。

それから数日後、タイミングが良いのか悪いのか、夫と家計の話になったときにこんなことを言われた。
「文章を書くことを、なんで本気で仕事にしようとしないの?」

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去年仕事を辞め、いわゆる専業主婦として人生で初めてのちゃんとした家事労働をする傍ら、「文章で仕事をしたい」という目標を抱き、執筆活動も少しずつ挑戦してきた。
既に持っていたnoteのアカウントをより充実した内容にすべく試行錯誤したり、「かがみよかがみ」をはじめとした他の媒体にも目を向けるなど、自分なりに少しずつ前進しているつもりだった。

しかし、夫の目にはのんびりしているように見えたらしい。そして実際、収入にはほとんど繋がっていなかった。文章を書く時間は格段に増えたが、いざ仕事のチャンネルを覗いてみても、「私には無理だ……」と尻尾を巻いて逃げてしまっていた。

仕事にするには、自分の書きたいこと以外にも挑戦していかなければ可能性は広がらないし、自分から積極的にアピールするガッツも必要である。

頭ではわかっているし、なんなら毎日、新しい日が来ても一歩が踏み出せないことに嫌気がさしていた。

極めて精神衛生上不健康な日々だが、他にやることもあるから、とか、休むことも大事だから、などと言って蓋を無理矢理閉めようとしていたのである。

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「見つけられていないだけだと思うんだ」
「皮肉じゃなくて、時間はあるんだから。色んなことができるはずなんだよ」
家計のことから文章活動にまで及んだこの話し合いは、私にとってなかなかヘビーな時間だった。しかし、これによって心が決まった。今度こそ、「本当に」始めなければならないと。

以前、今年の抱負についての文章で、身の丈にあった行動かどうかを見極められるようになりたい、と書いた。

では見極めよう……よし、私ならできる!
自分の能力を過小評価している、と言ってくれる人が周りにいるのだから、その言葉を信じて走り出そう。5年後、あのとき決意できてよかったと思えるように。