「おはようございます。昨日のあれ、観た?〇〇くん、尊いわー!!」
「おはようございます。観ました!!感動して、配信で巻き戻して、10分間くらいのシーンを、泣きながら10回くらい観ちゃった」

先輩たちの元気な声が、フロア中に響き渡る、8時25分。朝は、いつもこんな感じだ。挨拶して、仕事より先に、まず推しの話、か。

2人には共通の推しがいる。どうもその彼について、昨日放送されたドラマでの演技が話題になったということらしい。女子高生のごとく盛り上がっている。なんとも平和な職場だ。
あぁ、私も話したい。聞き耳をたてながら一瞬そう思ったが、やっぱり、ダメだ。私には、そこに割って入る勇気はない。

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なんせ向こうは、トップアイドルの沼にハマっている人たちだ。仲間が多すぎる。私の好きな女優さんのことなんて、話したところで、興味を持ってもらえないかもしれない。

しかも、彼女は、主に舞台で活躍していらっしゃる方だ。日々テレビで観られて、幅広くなじみのあるアイドルとは違う部分もある。話したい場合、
「こういう方なんです」
と、最初から説明しないと、伝わらない気がする。もどかしい。仕事に行っているのに、わざわざそこまで時間を使って、布教めいたことをする度胸は、ゼロだ。

そもそも、普段から職場の中で、
「口数少ないよね」
「あなたって、プライベートな話、しないよね」
「家で、何してるの?」
と言われ、謎が多い、静かな人として通っている私なのだ。そんな人が、ある日突然、
「女優の〇〇さんが好きなんです!!」
とか言い出したら、どう思われるだろう。きっと、新情報の発覚に、衝撃が走るだろう。ザワザワするに違いない。想像しただけで凍える、アウェイな空気。耐えられない。そんなことになった日には、私の心は、間違いなく傷つく。そんなの、絶対に嫌だ。

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「彼女が好き!!」という気持ちは、なくしたくない。
過去にも何度か書いているので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれないが、私と彼女の出会いは、私が大学生の頃。親元を離れ、やりたいことに向かってキラキラしている友人たちを横目で見ながら、何をしたらよいかわからず、ひたすら授業のためだけに大学と実家を往復する。そんな生活に悶々としていた時のことだった。ネットサーフィンで偶然その存在を知った。

彼女を好きになったことで、私の生活は一気に鮮やかになった。毎日大変なことがあっても、
「帰ったら、彼女の作品を観よう」
と、別の目標があることで、どこか心に余裕を持てるようになった。大げさではなく、苦しい状況から救い出してくれた。それはそれは、奇跡のようなものだった。そして、その奇跡は、今でも続いている。

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「疲れた……」
どんなことがあっても、家に帰れば、カレンダーの中に、彼女がいる。そして、変わらない笑顔で迎えてくれる。それは、私にとって、この上なく大きな力だ。すり減る心の中を支えてくれる、防波堤のようなものなのかもしれない。

だからこそ、傷つけるわけにはいかない。一番大事なところに、そっとしまっておこう。そして、ここぞという時に取り出して、力を分けてもらうのだ。

「仲間がいたら、もっと楽しいのかも」
アイドルを語る先輩たちの姿を見て、ふと心がなびいたこともある。確かに、話題を共有できる仲間がいれば、1人でコソコソして噛みしめる以外にも、楽しみ方は何倍にも広がる。1人が嫌なわけではないが、仲間がいるのも、素敵なことかもしれない。それならなおさら、
「彼女が好き!!」という私の気持ちを、わかってくれる人がいい。そんなことをぼんやり思いつつ、気づけばあの出会いから10年経っていた。

好きだけど、好きだからこそ、大事な大事な、私の秘密。