あなたは友人関係で無償返品サービスを行えますか?私はそんなサービス行えない。だって、人間の心はモノじゃないのだから。

例えば、ホテルに泊まってみて、やっぱり気に入らないから返金してほしいと言われても難しいのと同じこと。一度心の内側まで踏み込んだのち、「やっぱりキャンセルで」と言われ元の距離に戻ろうとされても、以前と同じ関係に無償では戻れない。

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私は4月から大学4年目に突入する。今まで、小学校、中学校、高校、大学やバイト先など、たくさんの人と出会う機会はあった。でも、私の友達と呼べる人は片手に収まるし、長く続いている友人関係は指折り数える必要もない。

そして、友人関係のトラブルは両手で数えても足りないくらい多く経験してきた。相手を傷つけてしまったこともあるし、傷つけられたこともある。どちらが悪いとかは結局のところ答えは出ないし、お互い悪いところはあったと思っている。そんな経験をしてきたからこそ、余計に友人関係に消極的になってしまう。友達と呼べる友達が、減ることはあっても増えることはない。それが私の友人関係だ。

そんな私の友人関係を一言で表すなら、「来る者も拒んで去る者も追わず」。

私は自分の心の狭さを自覚しているからこそ、来る者を拒む。私の心の中に踏み込ませなければ、傷つくことも傷つけることもない。

そんな弱虫な私は、去る者を追いかける勇気や根性なんて持っていない。その癖、心はいっちょまえに痛みを主張してくる。そして、今ある友人関係に対しても、友人関係を壊したくない、素顔を見せて否定されることが怖いと、ビビりな心は主張してくる。

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好きだからこそ、傷つきたくないし、傷つけたくない。自分が傷つけられるのも怖いけれど、それと同じくらい、自分が無意識のうちに相手を傷つけていることも怖い。

好きだからこそ、相手から否定されるのも、衝突して関係が壊れてしまうのも、怖くなる。

好きだからこそ、心に壁を作るし、一定の距離を置く。こんな思いが強くなるほど、「好きだからこそ」を理由に、友人関係から逃げようとする自分が、相手と向き合おうとしない自分がどんどん嫌いになっていく。

変わりたいけれど、変われない。そんな葛藤と、私はいつも戦っていた。

好きならば、正々堂々相手に向き合えばいいだけだって分かっている。好きならば、もっと相手に素顔や本音を見せたほうがいいことだって分かっている。でも、それができない。その1歩が私には踏み出せない。

踏み出せないまま、高校生活が終わって、大学生になった。そして、大学生活の終わりが見えてきている。

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大学生活の終わりが見え始めて、私は思った。いつかその一歩が踏み出せるかもしれないし、踏み出せないかもしれない。でも、今はまだその時じゃないだけかもしれない。本当に必要になったら変わるかもしれないし、変わらないままかもしれない。そのくらいでいいんじゃないかなって。

人間1つや2つ、いやそれどころか片手で収まらないほどの欠点を、誰しも持っているわけだし、私の友人関係の下手さはその欠点のうちの1つかな、なんて思えてきた。

たぶん私はこれからも、友人関係の無償返品サービスは開始しないだろうし、来る者も拒んで去る者も追わずを貫くだろう。でも、友人関係で、変わりたいけど変われないという葛藤だけは、少し変化できそうな気がしている。好きならば、まずは自分の欠点を受け入れ、自分の心に正々堂々向き合うことから始めてみようと思う。