私はいわゆる「おりこうさん」な娘だったと思う。模範的な人間で、叱られるようなことをせず、「ご両親の育て方が良いのね」と言われることが自分の役割だと思っていた。

そんな私が、人生でたった一度母親に深い、深い、傷をつけたことがある。それは、私がどうしようもなく好きな人ができたときだった。

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大学生のとき、とても好きな人ができた。そして運よくその人と「お付き合い」を始めた。

まるで天にものぼるような気分だった。好きな人がいて、その人の隣を歩くことができて、その人に「好きだ」と話すことができ、その人も「好きだ」と伝えてくれる。こんな奇跡がこの世界にはあるのかと、とても感動していた。

嬉しかった。幸せだった。だから、誰かに認めてもらいたかった。その人と恋愛的な意味で付き合いをしていて、私が幸せであることを。

付き合って数か月したとき、互いの母親に私たちのことを伝えることにした。私たちは幸せの中で生きていたから、それが両親にとって誠実な行為だと信じて疑わなかった。伝えられた側が何を思うかなんて想像していなかったのだ。

そして、私たちは同じ日の夜に互いの母親に「付き合っている」ことを伝えた。「同性である、女の子と付き合っている」ことを。

恋人である彼女は、元々同性が恋愛対象だった。それをなんとなく察していた親は、「若気の至りでしょう」とピシャリと言って、それ以上は聞きたくないという雰囲気を出したようだ。彼女はとても傷つきながらも、「こうなるとは思っていた」と言いながら肩を落としていた。

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一方こちらは、嬉々として恋人ができたことを話す娘に始めこそ「そうなの」と少し明るめのトーンで話をしていたが、彼女の名前を出した途端、部屋の空気が数度下がったような気がした。

「何をしているの」「そんなことをするために大学に行っているの?」「離れなさい」「大学をやめさせて彼女に会わないようにしようか」そんなことを言われた。最後の方は少し記憶がないが、母は怒っているように見えた。初めて母の怒りを一身に浴びたと思う。

このときは、呆然としつつ、「どうしてここまで言われないといけないのか」という怒りにも似た感情が湧いて出てきた。好きだから、彼女のことも母のことも大切だから、わかってほしいと思った。

彼女との付き合いを続けるなら大学をやめさせると言われながらも、付き合いは続けていた。母の中では私たちの関係はあくまで友人ということにすり替わっていた。そのことが私の胸をチクリと刺し、棘はなかなか抜けてくれなかった。

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だからだろうか、段々と母の前で彼女の名前を出すことが減っていった。好きな人の名前を口にするだけで胸が痛むだなんて、恋以外で経験したくなかったから。

好きな人ができて、相手も私を好きだと言ってくれて、互いに幸せを感じている。そのことを誰かに認められたかった。

現代の日本では、同性同士の結婚もできない。ならば身近な人、できれば両親に認められたいと思った。好きだから、相手のことが大好きだから、誰かに認められたかった。私にとってはただそれだけのことだと思っていた。

でも、それはあくまでこちらの想いだったのだ。相手が受け止める準備ができていない段階で、このような告白はただ相手を傷つけるだけなのだと、後に冷静になってわかった。

母は傷ついたのだと思う。母が彼女のことを私の友人だと扱うのも、そうやって傷を癒していたのかもしれない。そうであれば、私はその罰を受け止める必要がある。だから今でも母の前では、彼女は友人のままだ。

好きな人への好きを誰かに認めてもらうことは当たり前のことではない。時に難しいことがある。でも、それでもやっぱり私はあなたが好きだから、私は言葉にしたい。

あなたが、好きだ、と。世界中であなただけに伝わるように、小さな声だけれど。