大好きだった彼のことを、一日も忘れたことはない。そう、あの壮絶な片思いから、もう八年の月日が流れた。
彼の声は忘れた。彼の香りも忘れた。だけど、彼のその時々見せる優しかった笑顔は今も思い出せる。だって、昨日も夢に出てきたばかりだから。
一色君が好きだった。高校生活の三年間、彼への猛烈な片思いはいつからか始まっていた。

きっかけはほんの些細なことだったと思う。席が近くて、ちょっと勉強を教えてもらったり、冗談を言い合う仲にもなって、勝手に仲良くなった気になっていた。
いつからかその感情が異性としての「好き」だと気づいたとき、胸が上に持ち上がって、きゅっと苦しくなるあの幸せな痛みが襲ってきた。
嘘なんかじゃない。本当にそうだったのだ。

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一色君は、この高校が第二希望だった。入学式最初のテストでクラス一位だと知った時には、やっぱりなと思った。それと同時に、だからなのか、と思った。
だって、一色君はいつも暗い。高校生活に何も期待していなさそうな、春に似つかわしくない表情で窓の外を眺めるその横顔が今も脳裏に焼き付いている。
一色君は死ぬほど勉強して第二志望のここにいる。私は死ぬほど勉強して、第一希望のここにいる。小さな小さなこの教室での出会いは、私にとってのすべての始まりで、宇宙よりも無限の可能性を秘めていた。

「あー今日も部活や。まじで顧問と合わないんだよなー」
お昼時間、いつもの様に所属するテニスの悪口を、誰に言うでもなく嘆いているのを、私はよく耳にするようになった。どうやら部活も張り合いがないらしい。
そうだよな、第二希望の学校で、やりたくもない部活に強制入部させられて、そりゃあ毎日疲れるよな。一色君、大丈夫かな。一色君、毎日楽しめているのかな。
私はまるで彼の保護者の様に心配していた。そうだ、もしかしたらこの愛は最初は彼への一方的な「心配」から始まったのかもしれない。それがいつからか彼に対して自分と似たものを感じる「共感」につながって、好きという感情に変わったのだ。

そんなことを思いながら、私は同じ教室にいる限り彼のすべてを第六感で感じるように生きていた。ふとした表情も、変化も、なにもかも自分のことの様に感じさせるパワーを持った一色君はいったい何者だったのだろう。

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だけど、私は頑固だった。そして小心者だった。学年中で私の代名詞は「一色君を好きな女」だったのにもかかわらず、彼へ誠心誠意の「好き」という言葉をプレゼントできる度胸がどこにもなかった。だから、いつもいつも遠回りの愛情表現しかできなくて、時には反動形成をして相手を遠ざけたり、駆け引きをして相手を不安にさせたり、とにかく私たちはきっとお互いに好きなのにどこか試しあっていた。 

一時期、片思いに疲れ切り、終止符を打とうとその辺の男子と放課後に映画に行ったことがある。私にとってそれはただの一色君への当てつけで、あわよくばこれでようやく不安になってもらいたかった。
私だって、飛び立てる鳥なのよ。いつまでもあなたに片思いし続けてくすぶっているような女じゃないのよ。
無駄な時間だと今になって思ったとしても、あの頃の私にできたことは所詮これくらいのことなのだ。

名前も覚えていない。好きでもない男子と映画に向かう放課後の夕暮れに包まれた電車の中、私たちは二人掛けの椅子に座り、楽しみでもない映画館に向かう。
そんなときに限って、どうして君は同じ車両にいるの?ねえ、一色君。どうかこんな私を嫌いになって。本当はね、あなたがずっとずっと好きなの。一年の頃から、三年間ずっとずっとただあなただけが好きだった。なのに、私は今何をしているのだろう。
隣に座る男子の話には上の空で、どこか気まずそうに違う車両に消えていった一色君の後ろ姿だけが気になったままだった。

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春が来て、私たちも大学が無事に決まった。私は県外の私立大に受かり、一色君は関西の国公立に受かったと知った。

私たちは、すれ違うたびに意識して、お互いがそばにいると分かったとたん声が大きくなって。考え方も思うこともよく似ていて、こうして出会えて運命だったね。
ねえ一色君、君が私のすべてだと伝えたら、君はなんていうかな?

告白もせずに別れた卒業式。
卒業後、君が設定したラインミュージックを聞いて、私は一人胸を焦がしていた。
石崎ひゅーいの「オタマジャクシ」。
その曲の歌詞は、私へのメッセージだったのだと思う。
一色君と私は、どこまでも似た者同士だった。