私は無自覚にも変わっている、変わった人と言われるが、その中でも自覚をして変わっていると感じている趣味がある。それは、ファッションである。

ロリータ系、夢かわ系、地雷系……一般的に痛いと称される服装は沢山あるが、私は痛い系ファッションとして世間には認識しきっていない、一部のネット厨にしか知られていないファッションを好んでいる。

そう、私の好みのファッションは、童貞を殺す服である。

童貞を殺す服とは2015年頃にネットスラングで出た言葉で、主に白いフリルやリボンの付いたブラウスに黒のロングスカートを合わせた、いかにも二次元風のお嬢様のような服装である。その後、童貞を殺すセーターとして露出度の高い新たな服装が生まれたが、それとは区別された元祖童貞を殺す服を指している。そして偶然にも、私が童貞を殺す服に目覚めたのもその頃であった。

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それまでの私は、いわゆるオタサーの姫と言われるような服が好きだった。クラシカルロリータファッションに身を包み、それだけでは物足りずにカチューシャやヘアアクセサリーを身に付け、お手頃価格で最大限の女性性の表出を試みた。

女性性に自信がなかったからこそ生まれた自己表現で、私が女の子であること、女性である自分がここにいることを見てもらいたいという女性性の承認要求に近いものがあった。

ちょうどその頃、ネットスラングではオタサーの姫が話題となり、大学生ならば誰もが知る用語として浸透していき、私自身もそのレッテルが貼られるようになった。そのレッテルを剥がそうと思いついたのが童貞を殺す服であった。

当時の私が思われたい女性像は、女の子とお嬢様であった。フリフリの服装がオタサーの姫ならば、黒のロングスカートと白いブラウスで清楚なイメージを作りあげ、リボンで女性性を表出すれば良いではないかと思いついた服装だった。

その当初はそうしたネットスラングがあることを知らずに着用しており、周囲も「女性って感じの服装」と褒め言葉のように揶揄していたのだが、2018年にたまたまTwitterを通して知ってしまった。

なぜ、私の好きな服装には負のネット用語がつきまとうのかと、当初は苛立ちと戸惑いを覚えたが、そんなネット用語に左右されずに自分の好む服装をしようと一周回ってその服装を楽しむようになっていった。時には用語を公言し、時には隠し、その服装をすることは、周囲の人々の反応を読むようでなかなか興味深いものがある。

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友人に会うとき、仕事に行くとき、私はその用語を隠し通す。まるでその服を自然に好んでいるかのように思い込ませ、お嬢様と言われて満足する。学生時代は哲学科の先生にブルデューのハビドゥス論を用いて私の服装を論じられたこともある。
「君、絶対に道産子じゃないでしょ。都会のイメージ。中高一貫女子校か」
私はまんまと何千人もの学生を見てきたプロを欺くことができた。いや、演技ですけど、と心の中は踊っていた。

その他にも似たようなことを言ってくる学生が何人かいた。どうやら童貞を殺す服は、都会のお嬢様のイメージがあるらしい。

一方私はネット内で、童貞を殺す服を着ていることをアピールしている。服そのものをアピールするきっかけにもなるし、私がそういう服を愛しているということをユーザーに分かってもらえることがとにかく嬉しい。あるアカウントでは、毎日のように今日も童貞を殺す服着て出勤です、とつぶやいている。

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最初は無自覚にした服装だったが、この服装が私に与えてくれたものは本当に大きい。

ただでさえ清楚なイメージを醸し出し、周囲の人から見た私を作り出してくれる。そして、そうしたネットスラングがあるということも時にはネタになり、注目度も高くなる。そして何より、ネーミングが面白くて私でも言いながら笑ってしまう。

このネットスラングの創立者は未だに誰か分かっていない。けれども、知らない誰かが私に与えてくれた影響はとても大きい。だから、私はそのネットスラングを作ってくれた誰かにこの場で感謝の気持ちを伝えたい。私はあなたの開発したファッションスタイルが好きです、と。
3月には30歳になるが、私は今日も童貞を殺す服を着て役所に出勤している。理由は一つ。
童貞を殺す服が好きだから。
である。